2017年1月17日 (火)

宝塚星組オーム・シャンティ・オーム

Ohshantiom   東京国際フォーラムの宝塚星組『オーム・シャンティ・オーム-恋する輪廻-』(小柳奈穂子脚本・演出)は,インド映画『恋する輪廻 オーム・シャンティ・オーム』(ファラー・カーン監督,2007)の日本語舞台版である。「恋する輪廻」は日本の映画会社がつけたのだろうが,種明かしをしていると言えなくもない。

 主人公を演じる紅ゆずるとその相手役綺咲愛里は,4月に本劇場でデビューする星組の新しいトップスターであり,この作品は,事前のお披露目という位置づけになる。

 舞台はインドムンバイの映画スタジオで,脇役から抜け出せない青年オームが,人気女優のシャンティに憧れるが,そのシャンティは謎の死を遂げ,オームも命を落とす。しかし,その30年後に生まれ変わったオームは・・・というとんでもない話である。恋愛,喜劇,悲劇,復讐劇,ミステリ,親子の情愛,友情など何でもあり,しかも劇中の映画が『オーム・シャンティ・オーム』で自己言及的である。

 主人公の誕生日の場面は,まるで紅ゆずると綺咲愛里のトップ就任を祝うかのようで,抱腹絶倒なやりとりもある。「ハッピーじゃなければエンドじゃない」といった印象に残る台詞もある,出ずっぱりの紅ゆずるは,疲れをしらず走り回り,綺咲愛里はまるでインド女優のようであった。

 いろいろ無理なところもあるインドの映画がそのまま宝塚のフォーマットにあてはめられ,宝塚の観客は,何の違和感も感じることもなく,作品の世界に浸っていた。


2015年7月23日 (木)

猿之助の早変わり『蜘蛛絲梓弦』

 7月の歌舞伎座の昼の公演は,

 『南総里見八犬伝』

 『与話情浮名横櫛』

 『蜘蛛絲梓弦』

で,それぞれ1時間ほどである。全演目に中村獅童が出演する。『与話情浮名横櫛』は久しぶりであるが,退屈だった。もう50年以上前に見た雲の上団五郎一座で三木のり平の「斬られ与三郎」,八波むと志の「蝙蝠安」はまだ覚えている。

 『蜘蛛絲梓弦』は,源頼光の蜘蛛退治話であるが,市川猿之助が女童から,薬売り,新造,座頭,傾城,そして女郎蜘蛛の精へと早変わりをしつつ,毎回,意外な場所から出入りするので盛り上がる。しかし,『蜘蛛絲梓弦』は舞踊劇であり,猿之助はそれぞれの扮装で楽しそうに踊っている。

Kumo  猿之助が最初に演じる真っ赤な着物の女童は,小柄に見え,またおかっぱ頭で愛らしく,人形のような動作であるが,初めて観たように思った。調べてみたら,『蜘蛛絲梓弦』は2012年に明治座で観ていた。一方,蜘蛛の糸を投げるのは,記憶があった。それは,昨年の明治座で観た『四天王楓江戸粧』である。猿之助は宙づりになりながら,客席に蜘蛛の糸,すなわちペーパーストリーマーを投げていた。

 いやに古いことを覚えていたりはするが,最近の記憶が混乱している。


2014年9月20日 (土)

「選ばなかった道」と「分去れの 片への道」

 書店のカウンターでたまたま手に入れた岩波書店の『本』(2014年9月号)に載っていた川本皓嗣氏の「詩人フロストとオバマ大統領」を読んだ。

 川本氏は,2014年4月24日にオバマ大統領を迎えた宮中晩餐会に招待された。皇族,政治家,経済界の人々が中心で,自分は数少ない「学者・文化人」枠のようだった。食事の前に,侍従から懇談の際にオバマ大統領と話をして欲しいと頼まれた。食事の後,大統領の近くに行くよう促された。

侍従らしき方が大統領に,東大名誉教授(比較文学)と私を紹介してくださった。「何を研究しているか」と大統領に訊ねられたので,「アメリカ,イギリス,フランス,日本,そして少々中国の詩」と申し上げると,「そう,世の中には政治や金なんかとは別に,大事なことがたくさんある」,という旨のことを言われた。(中略)ところで,アメリカの詩人で誰がえらいと思うか」と訊ねられた。とっさにフロストの名を忘れて,「ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ,ウォーレス・スティーヴンズ,エミリー・ディキンソン」,それから家内に確かめて,「ロパ-トー・フロスト」とお答えした。 

驚いたことに,オパマさんはすぐ「その中ではディキンソンが最高だ」と断言された。私は全く同感だと答え,その上で,「フロストはいつも低く見られる傾向があるが,実は」と言いかけると,オバマさんは「そう,たいへん人気があるし,詩もやさしそうに見えるので,軽視されがちだが,その言葉をじっくり読み味わうと,表現は絶妙だし,意味は深く,かなり難解だ」と力をこめて話された(正確な英語を忘れたので,要旨のみ)。

Theroadnottaken  「フロストという,いろんな偏見にも包まれた容易ならぬ詩人について,現大統領がずばりと的を射た批評を下されたので」ただただ驚嘆した川本氏は,フロストの「選ばなかった道(The Road Not Taken)」について読者に説明する。「あえて人の行かない方を選ぶべきだ」という一般的な理解の仕方を否定し,「これはむしろ,そもそも人生のあらゆる局面に分かれ道があり,人はそのどちらか一方を選ばざるを得ないこと,そして自分もやむなく一方を選んでしまったことに対する無念さの表明ではないか。そうだとすれば,これこそは,無数に枝分かれしてつねに二者択一を迫る人生の道に対して,誰もが抱く根源的な不安や心残りを仄めか」していると述べている。

 川本氏は,オバマ大統領が「フロストを論じる口ぶりは,大多数の読者とは異なっていて,それは,フロストをじかに熟読したこと」を感じ取り,「現役の大統領でありながら,明らかにアメリカの知的少数派に属している」ことに驚愕した。

 さらに,川本氏は,皇后陛下が,出席できなかった国際児童図書評議会の1998年ニューデリー大会に寄せたビデオ講演の中でフロストの八行詩を朗読なさっていることを紹介している。

 このエッセイを読んでいて,「選ばなかった道」に言及があったとき,皇后陛下の御歌集『瀬音』(大東出版社,2007)に載っている2005年に詠まれた有名な

   かの時に 我がとらざりし分去(わかさ)れの 片への道はいづこ行きけむ

を思い浮かべるのは自然である。

 川本氏がオバマ大統領を「アメリカの知的少数派」と評した後で皇后陛下について述べているのは,何かを言いたかったからである。おっしゃりたいことに同感である。
 


2014年9月16日 (火)

文楽の『不破留寿之太夫』は「フォルスタッフ」

 国立劇場小劇場でで2014年9月の文楽『不破留寿之太夫』を観た。『双蝶々曲輪日記』の通しを観たいと思っていたが,腰を痛めた身には4時間は辛く,80分の『不破留寿之太夫』観劇となった。

 ちらしには,

『不破留寿之太夫』はシェイクスピア作『ヘンリー四世』や『ウィンザーの陽気な女房たち』に登場する巨漢のか調子者・フォルスタッフを主人公とした文楽の新作です。監修・作曲を鶴澤清治,脚本を河合祥一郎,美術を石井みつるがそれぞれ担いこれまでにないスケールの新作に挑みます。酒飲みで好色な不破留寿之太夫(フォルスタッフ)は主君春若(ハル王子)と遊興三昧です。

と書かれている。

Farusunotaifu  もちろん,鶴澤清治の他,豊竹英大夫,豊竹呂勢大夫,桐竹勘十郎,吉田和生という豪華メンバーである。

 前奏が始まり,舞台には大木があり,それは桜の木で,不破留寿之太夫が酔ってその幹に寝そべっている。目先の快楽しか考えないず,小狡いフォルスタッフが騒動を引き起こす。琴や胡弓ばかりでなく文楽の楽器が総動員され,台詞も良く聞くと皮肉混じりで面白い。しかも最後に単なるドタバタの喜劇ではないことがわかる。

 「グリーンスリーブス」の調べに乗って退場していく不破留寿之太夫(桐竹勘十郎)に対して,観客から自然に大きな拍手が起きた。

 文楽協会は,この程度の新作は,苦もなく作ることができるということなのだろう。

 この作品は,テニスのようなところを頑張るのもよいけれど,不破留寿之太夫の人物像をしっかり作り上げれば,さらによいものになるのではないかと思われる。それに,初心者を文楽に惹き付けるのに適しているから,しょっちゅう上演したらよいのではないか。


2013年10月11日 (金)

違い棚はどこにいったのか:東京国立博物館「京都」展

Kyototen  始まったばかりの「京都 - 洛中洛外図と障壁画の美」展を東京国立博物館に見に行った。

 最初に,国宝の上杉本をはじめとして,4点の洛中洛外図が並べられている。全部で7点が展示されるが開催時期の前期,後期で展示作品は異なるらしい。やはり面白い。室町時代の終わりから江戸時代のはじめまでの京都の町中,貴族の屋敷,二条城,寺にいるそれぞれ個性のある服装をし,仕事をしたり遊びに興じる何百という人々が描かれている。あちこちと目移りし,動物が気になったり,祇園祭の山鉾に見入ったりする。 

 こうして並べてあれば,全体と細部を見比べることができる。松の枝振りが似ていたり,あるものはいやに雲の部分が多かったりすることがわかる。

 しかし,洛中洛外図は全体の1/4でこれで終わりである。次は。京都御所にあった,狩野派の中国の聖人を描いた障壁画が並んでいる。
そして,残り半分は,竜安寺の襖絵と二条城の障壁画である。展覧会の名称はこれでよかったのだろうか。なぜ,洛中洛外図を全部同時に並べないのか。

 第二会場に入ったとたん真っ暗な部屋に入ることになった。何だろうと思ったら,巨大なスクリーンに竜安寺の石庭が投影されている。この「京都」展のスポンサーであるNTVの制作らしい。博物館でデジタル画像を見せられてもと思い,さっさと通り抜けたが,大勢の観客が立ち止まっておとなしくみていた。

 最後は,二条城の「黒書院一の間,二の間の障壁画全69面と,二条城の象徴といえる大広間の「松鷹図」15面を展示。二条城を空間として壮大なスケールで再現」したとのことである。二条城にある障壁画を展示するのであるが,ご丁寧にも黒書院一の間,二の間と同じ展示空間を作って納めている。二条城を味わってほしいということなのだろうが,畳敷きの光のあたる空間と,暗い展示場とでは全く違う。

 それ以上に驚いたのは,いくつかある違い棚が取り払われていて,その跡が無惨な形になっていることである。何らかの事情で違い棚をつけたままにすることができなかったのだろうが,これは,よろしくない。誰がみてもそこに棚があったことは気付くし,強引に取り外したのではないかと思ってしまう。

 どうしてこんな無神経なことになったのだろう。


2013年5月19日 (日)

文楽『一谷嫩軍記』,『曾根崎心中』

Bunraku201305  国立劇場小劇場の文楽公演第一部(『一谷嫩軍記』,『曾根崎心中』)を観に行った。

 文楽協会創立五〇周年記念と近松門左衛門生誕三六〇年記念で,心中ものであるので人気があるのは当然だろう。満員御礼の札が掲げられている。

 やはり,高齢者が多いが,若い女性もいる。後ろの席では,「夕方の入構が..」と言っていたから雑誌の編集者たちのようだ。

 文楽を熱心に観ていた頃から数十年経つが,全く変わったところがないのはよい。ただ,舞台横の左右の上方に太夫が語る台本が二行表示されていく。どうしてもこれを見てしまうので,舞台を見るのがおろそかになる。

 当たり前のことながら歌舞伎は生身の人間が演じ,文楽は,人形と人形方が演じるわけである。歌舞伎では,『一谷嫩軍記』の直実役は,みな大柄であるとはいかない。しかし,文楽の直実は大きく,義経は小柄である。全く内面をみせない直実が大きく力の強い男であることには意味があるように思える。

 『曾根崎心中』の道行は,「「此の世のなごり。夜もなごり」も覚えており,心中までが長いなという記憶もあった。この心中は,どういくわけか死に急ぐ若い娘と極端に気の弱い若い男がこの世で無理ならあの世で結ばれようと心中するのだが,後の心中ものよりも追い詰められた感じが薄い。ちょっとした弾みでこうなったというところである。

 昨晩,風邪を引いて調子が悪いが観に来てしまった。ところが今日は録画録音をする日というアナウンスがあった。咳がでるのを何とか我慢するのは辛かった。それでも咳が出てしまった。DVDだかテレビかしらないが,咳が入って申し訳なく思う。それとも今では,場内の咳を消すくらいの技術はあるのかもしれない。


2013年3月27日 (水)

桜を見る人々

Gyoensakura2   新宿御苑で,晴れて青空が出てきたので「中の池」のベンチで桜と見物客を見物。

 一番多いのは,おばさんあるいはおばあさんの三人組で,次は,高齢夫婦である。実際は,一人が結構多いのかもしれない。三脚と高価そうなカメラを持った高齢女性が何人も行き来している。

 日本語以外の言葉を話している人も多い。あくびをしながら歩いているフランス人カップルがいるかと思うと,子供の手をひいた母親の後ろから携帯電話で大声で中国語で話しているお父さんが付いていく。

 座っているとカメラのシャッターを押してくれと頼まれる。

 大島桜を見て,「もう葉桜になっている」と言うおじさんもいれば,「枝垂れにもいろいろあるのよ。糸桜はね...」と詳しいおばあさんもいる。

 一般に,桜を見に来る人々の桜についての知識は貧しい。桜とは染井吉野のことだと思いこんでいる人々がほとんどである。しかし,これは仕方ないことだろう。年中桜が咲いているわけでもない。一年でせいぜい一週間のことである。

 桜には青空が絶対に必要で,光線の加減で色が変わる。満開は,多分,半日か数時間ではないか。

 桜が散るのは風ではなく,気温である。


2012年11月 5日 (月)

正倉院展で見た書見台

 正倉院展は,二年ぶりである。時間が遅いため,それほど混んではおらず,高齢者より若い人たちが多かった。

Rurinotsuki  今年の注目作品は,「螺鈿紫檀琵琶」かと思っていたが,大事にされていたのは,18年ぶりに出陳された「瑠璃坏」だった。ペルシャで作られたと言われる青いガラス製のさかづきである。 

 この「瑠璃坏」のある展示場所のかなり前で観客は,近くで見たいか,離れて見ることでよいかをきかれる。近くで見たいというとロープの通路で並び,数十分待つことになる。これを諦めてひと気のない通路を行くと,近接組の人達がひと回りしてはき出される後ろでゆっくり見ることができた。

 しかし,最も興味を引いたのは「紫檀金銀絵書几」である。高さは約60センチの書見台である。巻物を左の環にセットし,右側で巻き取っていく仕組みである。上部はケヤキで,下部が紫檀で,金銀泥で絵が描かれている。

Shoki  正座して姿勢をよくして読むときには,書見台は必要だったかもしれない。しかし,読書は,巻物であっても冊子体でも手で持って読むのが長時間耐えられる唯一の方法のように思われる。この「書几」のような複雑でしかも華奢な書見台は,使いにくかっただろう。

 けれども,そうした非実用的な家具にこれだけの努力を注ぐところにかえって余裕を感じる。


2012年6月25日 (月)

四代目猿之助の襲名公演

Shumei2012  新橋演舞場の6月歌舞伎は,「初代市川猿翁,三代目市川談四郎五十回忌追善」興行であり,その場で,四代目市川猿之助,九代目市川中車らの襲名披露をするということになっている。

 最初の演目は,新中車の「小栗栖の長兵衛」である。肩透かしを食うような内容であるが,意外にも,中車の演じる長兵衛は,台詞は多く,動きも多い役柄だった。懸命に演じていることはよくわかるが,好きで歌舞伎の舞台に立っているのかどうかはわからない。

  30分の休憩の後が「口上」である。これが 25分もあるがドラマもある。坂田藤十郎を新猿之助は,「山城屋のおじさん」と呼ぶのであるが,香川照之こと市川中車は,「坂田藤十郎様」と呼ぶしかない。内部の人間と外から来た人とが豁然と区別される瞬間だった。

 そして,もう一度30分の休憩があった後,「義経千本桜川連法眼館の場」となる。昨年 5月に明治座で亀治郎が演じる狐忠信を観たが,今回は体力の要る役を余裕をもって溌剌と演じている印象である。昔,今の猿翁の狐忠信を観たが,こうして,若い者に引き継がれていくのかと思た。

 猿之助は,ありあまるエネルギーを宙乗りでえらく暴れて発散している。


2012年3月 4日 (日)

フェルメールのデジタル複製画像展

Vermeercenter  有楽町駅から歩いて松坂屋の裏にあるビルに行く。フェルメールセンターという看板がある。何を観ることになるのか多少不安だった。

 エレベータで5階に行くと入り口があり
1000円を払う。雨で午前中なのに絶え間なく客が来ている。階段を下りると,そこには,フェルメールの全37点の作品のデジタル複製画がぎっしりと並んでいる。

 スキャナーで撮り,退色した部分を復元している。もちろんオーラはないが,色彩豊かなフェルメールの作品を隣り合わせに間近で観ることができるのはありがたいことだ。例えば,同じ部屋の同じ窓辺を何度も使っているのがとてもよくわかる。面白い試みである。