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2017年3月31日 (金)

入院

  今から三週間前のことだった。昼過ぎ,体調が悪く,パジャマ姿で寝ていたが,40度の熱で呼吸困難となり,救急車で病院の救急外来に搬送された。酸素吸入のおかげか救急車の中で意識は戻った。数時間の検査の後,十二指腸穿孔,つまり十二指腸に穴が開いているとのことだった。直ぐに手術をしたほうがよいという意見が最初は強かったようだが,院内で別の緊急外科手術があり,直ぐには手術ができないとのことで,結局,徐々に穴を塞ぐ療法となった。集中治療病室に移され,腕から点滴を受け,酸素吸入,心電図の常時監視で眠られぬ一夜が開けた。

 次の日,まず,鼻から十二指腸までチューブが入れられ,腸壁に刺激を与えないように腸液を全て外部に出し始めた。また絶食水となり,栄養を補給するために輸液や生理食塩水を点滴で身体に入れるのだが,腕からの点滴では足りないので,首からCVカテーテルを挿入した。何種類もの薬物がこうして身体に入れられるのであるが,看護師が「ライン」と呼ぶ管が身体中を覆う状態となった。ただ,熱があるわけでもなく,身体はほぼ健康体である。

 看護師が絶え間なく訪れて,全てが機能しているかチェックしていく。点滴の量を調整する「ポンプ」と呼ばれる機器が三台ついていて,何か起きるとこれが警報を鳴らす。しかし,管だらけのこうした状態にもやがて慣れてしまう。三日後に,集中治療室から出されて隣の病室に移され,さらに三日後,消化器外科病棟に移った。管の数は減らないが,心電図の監視はなくなり,酸素吸入もやめになった。

 最初は,この機会に本を読んだり,パソコンで仕事をしようと思った。ところが,読書意欲は減退し,面会者が気を利かせて大量に持ってきてくれたドイツ,北欧ミステリも,そのまま持ち帰ってもらった。パソコンは,病棟にWiFiがなく,自分で手当する必要があった。やがて,それほどまでしてどうするという気分が強くなった。前から持ってはいたが,ほとんど使っていないスマートフォンがあり,のろのろとメールを入力して最小限の連絡をした。要するに治療恢復に専念するという気持ちになった。もちろんテレビは観る。大相撲を初めて15日間欠かさず観たし,国会中継や都議会百条委員会の証人喚問も最初から最後まで観た。

 これまで,検査や白内障手術で短期の入院をしたことはあるが,長期の入院は初めてである。入院して最初に行われるのは「IDバンド」の装着である。これには患者番号,氏名,生年月日,それにバーコードがきさいされたプラスティックの細い腕輪である。担当看護師は,病室にナースカートを押しながら入ってくる。ナースカートの天板には,個人の診療記録を見ることができるノートパソコンが載っていて,下にはトレイを置いた何段かの棚があり,両側には,使い捨てのビニール手袋,エプロンの箱などが装着されいる。看護師はナースステーションで担当患者別に,点滴や検査用具,薬をトレイに入れて病室に来る。まず,バーコードリーダーで腕のIDバンドのバーコードを読み取り,名前を言わせ,点滴のバーコードを読み取って確認し,取り替えたり,必要な検査をしたりする。

 後半入っていた病棟は40床ほどあり,多分,二十数人の看護師がいた。看護師は,日勤,準夜勤,夜勤の三交代であるが,日勤では,一人で7,8人を担当しているらしい。異なりで16名の看護師が担当だったが,男性は2名だった。いずれにせよ,医師も看護師もチームで担当している。

 今回,医師と看護師のプロ意識の高さにあらためて感心せざるを得なかった。担当医師は,わざわざ日曜日の朝に出てきてCT検査をしてくれた。鼻からのチューブは固定が難しいので,毎日絆創膏を貼り替える。たまたま,新米が担当していたが,そこにベテラン看護師がきて,細かく貼り方を指南していた。なるほどオンザジョブトレーニングはこうするのかと感心した。一人一人の患者の治療歴や細かい情報が伝えられていく。最初,いい加減に歯磨きをしていたら看護師にみとがめられ,以後,どの看護師もきちんと歯磨きしているかを尋ねるようになった。

 絶食水10日後,ようやく,腸液の汲み出しが終わり,まず水を飲むことができるようになった。しかし,特に水がおいしいとも思えなかった。やがて,食事が摂れるようになって重湯からはじまり,五分粥へと至ったが,食事の時間が待ち遠しいということもなかった。

 いつの間にか全ての点滴が終わり,五分粥段階で退院となり,IDバンドが切断された。19日間の入院だった。退院前に体重を量ったら6キロ近く減っていた。ダイエット手段としたらいささかハードである。


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