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2013年8月19日 (月)

気の毒なJR北海道

Hokkaidosinkansen  先日,新青森から函館に行く間に,新幹線の工事が進んでいるのを知った。木古内の駅の工事も進んでいた。北海道新幹線の新青森から新函館までは2015年開業である。新函館駅は札幌を目指すので,行き止まりの今の函館駅からはかなり離れた場所になる。

 札幌までの新幹線は,現在,特急が走っている室蘭線ではなく,ローカル線となっている長万部から倶知安,小樽を通るルートとなるらしい。

 2013年8月16日からの北海道の豪雨で函館線の八雲の付近でJR貨物の貨物列車が脱線した。ここで事故が起きると函館と札幌の鉄道は停まってしまう。この間を代替バスでつなぐことにして,JR北海道は臨時の特急を走らせ始めたが,今度は,18日に函館と八雲の間の森で運転士が線路の上で土砂崩れが起きているのを見つけて停車した。幸い事故にはならなかったが,さらに面倒なことになった。

 JR北海道では,「走行中の列車から出火・発煙するトラブルが、今年に入って7件も起きている」,そこで「国土交通省の指導を受け、JR北海道がJR東日本に車両の整備などについて教えを請う異例の技術協力が今月から始まった」(読売新聞,2013-08-12)とのことである。しかし,JR北海道を非難する気にはなれない。

 広くて人口の少なく,気候の厳しい北海道で,JR北海道は,大変苦戦している。車両の整備に費用をかけられないのだろう。ただ,点検のレベルが少し下がると故障が頻発するらしい。安全にかかわることであるので,ここに乏しい資源を集中しなければならない。JR東日本の教えなど本当は受けたくないだろうに。

 さらに不運なことに,今度は重要路線が無慈悲な豪雨に襲われてしまった。

 先月末,函館から札幌へ特急「スーパー北斗」で行った。前日に登別に集中豪雨があり,特急は終日運転されなかった。乗る列車は,札幌を朝早く出発する特急の折り返しだった。札幌は定刻に出たらしいが,登別付近で停車,徐行を繰り返し,函館到着は2時間以上遅れた。函館で車内清掃の後,札幌行きとなった特急に乗った。ほぼ,本来の速度で走った。しかし,出発時刻が2時間以上遅れているので,到着時刻も2時間数分の延着であり,せっかく頑張ったのに,特急券は払い戻しとなった。何だか気の毒であったが,払い戻しはしっかり貰った。


2013年8月18日 (日)

『スタンフォード教授の心が軽くなる先延ばし思考』

Procrastination  ジョン・ペリー『スタンフォード教授の心が軽くなる先延ばし思考』(Perry, John. The Art of Procrastination. 花塚恵訳,東洋経済新報社,2013. 117p.)は,各賞の見出し,先延ばしに意義を見いだす,完璧主義が先延ばしを招く,やることリストがあなたを救う,音楽が先延ばしを防止する,メールとネットは要注意,横型人間の言い分,先延ばしやでない人と仕事をすると,先延ばししてよかったと思うとき,先延ばしやは周囲を不愉快にさせるのか?,をみればおおよその内容がわかる。ただ,第1章の「先延ばしに意義を見いだす」がイグ・ノーベル賞受賞だときくと,読んでみたくなる。

 著者は,査読を頼まれていているのだが,ずっとほったらかしにしていて,それが,気になっているが,どうしても取りかかれない。そこで,自分勝手な言い訳を考える。

 先延ばし自体は誰でも思い当たることであるが,ここに出てくることでいくつかそうだなと思うことがあった。今は,事務的な仕事は,インターネットに繋がったパソコン上で行っている。仕事をしようとパソコンを起動しても,すぐにウェブを観に行ってしまって,いつの間にか深入りしている。ようやく本業を始めても,また,ブラウザーを動かし始めている。仕事と別の関心事が混ざり合った環境が出来上がっている。

 いくつかの書類を用意して仕事をしていて,食事,会議,帰宅などでいったん止める時,普通は,次も同じ状態で始めることができるよう書類をそのまま,開きっぱなしにしておく。オフィスの原則は,仕事をしていないときは,机の上には何も残さないようにしなければならない。しかし,書類をキャビネットにしまうとその仕事のあったこと自体を忘れてしまうのだ。

 物事の解決策の一つとして,先延ばしがあることは確かである。しかし,いくら大学の教員が世間離れしているといったって,期限までに仕事をしないでいて職に留まることができるわけではないではない。そうでないとユーモアエッセイでは終わらない。


2013年8月14日 (水)

秋田内陸線に乗る

 秋田県に「秋田内陸縦貫鉄道」(地元では「内陸線」)という路線があり,以前から乗りたいと思っていたが,なかなか機会が得られなかった。鷹ノ巣と角館の間38キロであるが,秋田新幹線で角館まで行けばよいし,鷹ノ巣の近くの大館能代空港があるというものの,行くのはなかなか厄介である。

 奥羽本線を鷹ノ巣で降り,内陸線の各駅停車に乗った。運行本数は少なく,各駅停車では,2時間半ほどかかる。終始,乗客は7,8名程度であるが,全線を乗るのは,鉄道マニアの三人だった。それでも,途中の乗り降りがある。老人ばかりというわけでもない。途中で女性のアテンダントが乗車してきて,音声案内や車内販売をする。

Nairiku  鷹ノ巣を出たディーゼルカー1両は,まもなく阿仁川に沿って上流に向かう。駅間距離は短い。線路の両側には杉が植えられ,両側の山も全て秋田杉である。この辺りで山主だったら杉を植えるしかないだろうなと思う。中間の阿仁合駅で乗り換えなければならない。分水嶺を長いトンネルで越え,今度は別の川に沿って下り,田沢湖の近くを通り,角館に至る。全部で29駅,2時間半かかった。

 大変な満足感を得られた。後で調べているうちに,鉄道旅行の先達宮脇俊三氏が,『時刻表ひとり旅』の中で,(阿仁合線は)「もっともローカル色の濃い線だと私は思う」と述べていた。最初に乗った時に同乗した女子高生の美人度が高かったことが影響しているふりをしているが,それだけではない。あまり沿線人口が多くはない中を走る,純正ローカル線らしい風情がある。平凡な山里を淡々と走っている。

 今後の存続は難しいようである。観光で印象付けようと,イメージキャラクターがあり,駅ごとにスローガンがあり,鉄橋などの名所での徐行,そして稲にイラストをあしらった「たんぼアート」などがある。

 『あまちゃん』もそうだが,鉄道による地域振興計画,あるいは,「乗って残そう」という運動,さらに観光鉄道化ということは,第三セクターのローカル線ではどこでも行っている。しかし,玄関から玄関までいつでも移動できる車に対し,時間に合わせて駅まで行かなければならない鉄道は圧倒的に不利である。すれ違いのために15分ほど停まった駅で,駅の周囲を歩いた。ホームの待合室を,近くの小学生が掃除をしているという記事が張ってあった。その中に「まだ,一度も内陸線に乗ったことのない小学生も」と書かれていた。

 私のような,乗るだけの客が激増すればよいのだろう。しかし,鉄道好きが増えているらしいが,あまり有名でないローカル線に乗っている鉄道ファンはあまり多くない。


2013年8月12日 (月)

『あまちゃん』の勉さん

Amachan1   『あまちゃん』を毎朝,7時半からのNHKのBSで観て,さらに8時から復習している。第一回から欠かさず,先日,旅行で朝7時に家を出たときは,午後11時のBSプレニアムで間に合わせた。

 掲示板に「先日,定食屋でメシを食っていたら,ラジオか有線か「あまちゃん」のテーマが突然流れた。すると店内にいた人みんなが反応し,どのテーブルでもあまちゃん トークが始まった。みんな勤め人で,8時台には見れていないだろうに。これが世間に浸透しているということかと。すげぇなと」というのがあり,ツイッターで「上司がまさかのあまちゃん好きだったー!!\(^o^)/私やっていけそうな気がする!」というのを読んだ。小池徹平は,街で,「あっ,ストーブさん」と言われるそうである。

 『あまちゃん』は,一日分に随分と多くのエピソードが凝縮されている。集中していないと聞き逃してしまう台詞が多い。2013年8月12日(月)の『あまちゃん』もそのような一回だった。主演の天野アキの祖母で主演の一人天野夏が初めて上京し,東京見物し,それから,東京と北三陸での昔の夏と橋幸夫という予想外の取り合わせが話題になっていく。
 このドラマには,主演の他に,脚本家が特に感情移入している人たちが何人かいて,人気の水口琢磨はその一人であるが,安部小百合,大向大吉,そして勉アフレックこと小田勉でいる。

 この日の後半は,橋幸夫が北三陸に来て,公演会場で花束を渡す役の夏と「いつでも夢を」をデュエットする場面だった。このバックバンドで,音楽担当の大友良英がギターを弾いていたらしい。若き夏を演じる徳永えりが初々しく,宮本信子と重なって,とてもよかった。

 それはともかく,「いつでも夢を」は,以前,アキをはじめ海女たちが海から帰るときに歌っていたな,あれが伏線だったかと思わせるが,この橋幸夫の地方公演はいつ頃のことだろう。レコードは,1962年に出ているので,それ以後だが,橋幸夫の全盛期はかなり長かったはずである。しかし,この公演が仮に1964年とすると,小田勉はこの時17歳である。つまり,自分と同じ1947年生まれ,団塊世代であることがわかった。

 脚本の宮藤官九郎は,この時にまだ生まれてはいない。どうして,雰囲気のわからない橋幸夫や「いつでも夢を」を出してくるのかがよくわからない。橋幸夫については,夏と勉さん以外のミサンガ編みをしていた今野,長内,熊谷の方々は覚えてないと言っているので,偽物の疑いもあるのだが。

 この時代に,「アイドル」ということばがあったかということも気になった。吉永小百合はアイドルではなかった。「読売新聞」のデータベースで調べたら,1965年には,シルヴィー・バルタンの『アイドルを探せ』,ビートルズの『HELP! 4人はアイドル』が封切られていた。この頃からもう「アイドル」という言葉が使われていた。『あまちゃん』は,アイドル論でもある。

 やがてやってくる津波で,洞窟にいる勉さんが生き残れるのか心配だ。

 


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