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2013年4月28日 (日)

懐かしい『プリズナーNo.6』

 雷鳴が轟き,滑走路らしきところをロータスのスポーツカーが走ってくる。乗っているのはパトリック・マクグーハンである。車はロンドンに達し,英国の政府機関の建物に入っていく。彼は怒っていて,上司の部屋に入るなり,辞表を机にたたきつけて去る。自宅に戻って荷造りを始めるが,催眠ガスで眠らされる。起きてみると,見知らぬ家の中にいる。そこは,村と呼ばれる海に面した小さな町であった。ここは,ナンバー2に支配されている。パトリック・マクグーハンはナンバー6と呼ばれる。この村の住人の多くは,彼と同じようなどこからか拉致されてきたらしき男女である。

Prisonerno6  この英国製テレビドラマ『プリズナーNo.6』(The prisoner, 1967)が,日本でテレビ放送されたときには夢中で観た記憶がある。2013年4月にCSのスーパードラマTVで全作がHDリマスター版で再放送された。毎朝5時からであるので,見逃したり,15分遅れ,30分遅れの時もあったが,今回,全体の三分の二は観たと言える。「番号で呼ぶな,私は自由な人間だ」であるとか,「オレンジ警報」は懐かしい。設定は,良く覚えていた。パトリック・マクグーハンは,同じ英国のドラマ『秘密諜報員ジョン・ドレイク』の主人公を演じており,吹き替えは小山田宗徳だった。その才人パトリック・マクグーハンが制作して,自分が主演している。

 当時は東西冷戦のただなかであり,映画やテレビドラマでスパイものは一つの領域となっていたが,これは,SFでもあるし不条理ドラマでもある。ナンバー2は,ナンバー6がなぜ辞職したかを知りたがって様々な罠を仕掛けて白状させようとする。この村からは脱出不可能であるが,あくまで抵抗するナンバー6は,なんとか抜け出してロンドンに帰るのであるが,直ぐに連れ戻されというエピソードが2回あった。そこから,この村には英国政府も関与しているように思われてくる。複雑な諜報の駆け引きの他,監視カメラと盗聴装置のある管理社会とそこに暮らす囚人のような人々,それに反抗者という図式もある。村の古い建物は,今のテーマパークのようにファンタジックである一方,ナンバー2が執務する建物は機能的である。

 序盤は興味深いが,次第にアイデアが枯渇していくのがよくわかった。薬で精神をコントロールし,幻覚をみせ,西部劇など何でもあるということになり,狂気と暴力が中心になっていく。結末も今からみればやけっぱちで感心できなかった。


2013年4月21日 (日)

『ステーキを下町で』から『あまちゃん』へ

Sutekiwo  北は帯広の豚丼,根室のさんま,青森県の恐山の先の風間浦村の鮟鱇,南は鹿児島の黒豚まで各地の旨いものを食べ歩くのが平松洋子『ステーキを下町で』(文藝春秋,2003259p.)。抜群の文章力でどれほどおいしいかを語っている。さすがに見識があり,B級グルメなどといった作っている人たちに失礼な言葉は出てこないし,さんまは「サンマ」ではないし,鮟鱇を「アンコウ」と書くことはない。

 ここに出てきた東向島「レストラン カタヤマ」の「駄敏丁カットステーキ」を,先日食べに行った。260グラムで妥協したのが悔やまれる。平松さんのように,何も考えず510グラムにするべきだったと反省する。

 この本の終わり近くに出てくるのが三陸鉄道久慈駅名物「うに弁当」である。120個限定で,駅弁大会に出ることはない「まぼろしの駅弁」。「うわあ。思わず声が出た。オレンジ色の蒸しウニが惜しげもなくびっしり。四角い空間のなか,肩をよせあうようにしてウニのつぶが整然と列をなして雲のようだ。まさに『雲丹』。その厚い雲の下にはウニの煮汁で炊きこんだごはんの絨毯である」

 さて,この「うに弁当」が重要な小道具の一つとなっているのが,NHK朝の連続ドラマ宮藤官九郎作『あまちゃん』である。毎回,能年玲奈が元気にジャンプして始まる『あまちゃん』を第一回から欠かさず観ているが,会話も話題も展開も大変良い。アイドルで町おこしということらしい。配役が優れていて,ミスコンテストの企画会議はあまりにテンポが良く,笑うひまもなくあっけにとられた。

Amachan1_2  このドラマは,震災関連作品である。久慈市では亡くなった方は少ないようであるが,全国のこのドラマのファンが馴染んだ地元の登場人物たちは,みな大津波の被害を受けることになるはずである。そうしたことで震災を追体験する機会を作るのは結構なことだと思う。

 能年玲奈は,朝のドラマでは久々の十代の若いヒロインであり,透明感のあるかわいさで評判が高まっている。しかし,今,放送されている部分は何か月も前に撮影されているので,自分がそんなに注目されることになるは知らないまま,芝居上手の大人に混じって懸命に演技をしているのがまた初々しい。


2013年4月12日 (金)

「なんだかなあ」の新渋谷駅

 渋谷駅を通って東横線に乗った。やがては慣れなくてはならないのだろうが,腹立たしい気分になる。

 これまでは,地下鉄銀座線で渋谷駅に降り,後方または真ん中の改札口を出て階段を下りて東横線の改札口からターミナルのホームに向かった。かかる時間は,数十秒である。今は,東横線のホームは地下5階にあるので,地上3階にある銀座線からは8回分降りなければならない。そのようなことは出来かねるので,あらかじめ表参道で銀座線から半蔵門線に乗り換えて,地下3階の渋谷駅に到着。ホームの中間に地下4階に行くエスカレータがあるらしいのだが,後方のほうが東横線のホームに近いと思いこんでいるので,後方の上りのエスカレータで地下2階に行ってしまった。ここから3階分を下がらなければならない。

 

Shibuyaeki_2  そしてようやく東横線ホームに到達するのであるが,ホームの幅が狭い。東横線は,各駅停車,急行,特急が順に来るので,それぞれを待つ人が並んでいて,階段部分も邪魔になりホームを歩くことが難しい。

 この不快な駅から早く逃れたいので,来た電車に乗ってしまう。

 新渋谷駅は,安藤忠雄氏の設計で卵型の宇宙船が地下に浮かぶイメージ「地宙船」なのだそうだ。地下にあるのだから外側が卵形をしていたって誰にもわからない。建築家のコンセプトに振り回されて,わかりにくい混乱した駅になってしまった。

 今までの渋谷駅がわかりにくいという意見を信じている人が多いが,かつて宮脇俊三氏が『時刻表昭和史』などで繰り返し述べているように,渋谷駅は立体的によく工夫された,乗り換えのしやすい駅である。四つの路線がありながら,井の頭線と東横線の乗り換え以外は,それほど長い距離を歩かなくて済んだ。通勤客には大事なことである。それに,地下鉄がビルの3階に入っていくのがよい。空中を行くこの部分にいつも小さな感動を覚えている。

 今,行われている渋谷駅の改造計画は,通勤客の利便性を考慮しない方向で進められている。それどころか,渋谷を通過駅にしたいらしい。東横線沿線からは,道玄坂やセンター街方面には行くなと行っているようなものである。まもなく銀座線のホームも表参道側に移動するようだが,やはり駅の西側からは遠くなる。

渋谷駅は,悪い方へ悪い方へと向かっているように見える。


2013年4月 8日 (月)

3.11津波被災者の記録『 私が見た大津波』

国立国会図書館のNDL-OPACには件名「東日本大震災 (2011)」があるが,これを使って検索すると東日本大震災について,201348日現在で926冊の本が出ていることがわかる。2012年には523冊,2013年にも53冊が出ている。

Otsunami 河北新報社編『 私が見た大津波』( 岩波書店, 2013. 151p.)はこの中の一冊である。これは,仙台で刊行されている新聞『河北新報』に20114月から12月まで不定期掲載された大津波の被災者の記録75篇を編集したものである。範囲は宮城県沿岸に居住する被災者である。一人一人の氏名,年齢,写真,住所,被災時にいた場所の地図,そして600字ほどの聞き書きと,本人の描いた絵や写真が2ページにまとめられている。信頼性の高い個人の津波体験記となっている。これまで,断片的に聞いたり,読んできたが,こうして多数の事例が集まると,考えさせられることがいくつもある。

押し寄せる津波について,「白い水しぶき」という表現もあったが,ほぼ異口同音に語られるのは,「黒い」波だった,津波は何度も何度も押し寄せたということである。けれども,当然のことながら,場所によって状況が違うので,津波の速さや高さはまちまちである。速さは自動車から新幹線に例えられ,高さは1メートルから15メートルまである。ただ,あっという間に一面が海になったという表現は多い。

 読み進むうちにいくつか教訓のようなものがまとまりかけたが,75篇を読み終わると,そういうものではないなと思わずにはいられなかった。大地震の後は直ぐに逃げなくてはならない,自動車で逃げてはいけないといったことは確かではあろうが,逃げ遅れても,車に乗ったままでも助かった例も出てくる。かといって運不運に帰着するわけにもいかない側面がある。

 様々な助けを得たと述べ,もう会えないと思っていた家族と出会えたと語る人たちも多い。


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