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2011年12月27日 (火)

貧弱なポイント制度TOKOPO

 Tokopo_2 都営交通は,2011年8月からTOKOPOというポイント制を始めた。IC乗車カードのパスモと連動して使うのであるが,申込みをしてTOKOPOカードを貰わなければならない。あまり考えず,ウェブから申し込んだ。何か,手続きに不備があったのだろう,留守番電話に,TOKOPO担当に電話するように連絡があったが,すっかり忘れていた。そうしたら,申し込んでほぼ2か月ぶりにTOKOPOのカードが送られてきた。このカードとパスモカードとを駅にある装置で一緒に読み込ませると,連動する仕組みになっている。

 それから,2か月ほど経過した。ウェブでポイント数を確かめたら604点だった。最初のボーナス点が500点あるので,獲得したのは104点である。ほぼ毎日,都営地下鉄に乗っているのに,こんなに少ないのかと驚いた。

 よく調べてみると,乗車1回でたった2点で,1点1円換算である。回数券は,10枚分の料金で11枚であるので9%の割引であるのに,このTOKOPOは,わずか1.2%である。これではだめだ。全くインセンティブとはならない。

 パスモやスイカなどの先払いカードに何の割引もないのは不審である。IC乗車カードの普及で,鉄道各社は様々な利益を得ているはずである。

 手続きはのろく,手間がかる上,割引率は低いという貧弱なTOKOPOである。よく,こんな企画が通ったものだ。きっと,紙の回数券を買ったほうがよいことに気付いてもらうために始めた制度なのだろう。


2011年12月23日 (金)

『家政婦のミタ』を全部観ました

Kaseifumita  ゆるやかに視聴が減っている現在のテレビの状況,さらに,視聴率15%くらいあれば成功と言われるテレビドラマの現状をみると,最終回の視聴率が40%を超え,平均でも25%だった『家政婦のミタ』は驚異としか言いようがない。

 このドラマは,第1回から全て観た。主人公も設定も異様であり,次に何が起きるのかわからないという緊張感があった。頼まれればAKB48の全メンバーの名をよどみなく唱え,家事をきちんとこなし,たちまち家族ひとりひとりが抱えている問題を把握する一方,常識外の乱暴も無表情で行う序盤の三田さんは,メカニズムのわからないロボットのようだった。

 それには理由があったということになるのだが,全く感情を拝した棒読みの悲惨な過去の告白は圧巻であったにせよ,数分で終わり,突き放す。

三田さんは,人間を超えた存在を象徴しているらしいところがあった。次男の海斗が学校で死んだ母親について書いた作文を読んだ後,戸惑う教師は何も言うことができない状況になる。海斗が作文用紙のうしろをみると1枚の紙があり,そこには,三田さんが「よくできました」と花丸をつけてくれていた。末っ子の希衣が最後に三田さんからもらったプレゼントには「ワタシもキイさんが好きです」と書いてあった。観ている者は,少し高いところにいるような三田さんに褒められることは何よりうれしいだろうと自然に思う。

 原作が小説でもマンガでもないこのドラマの脚本を読み,おそらく高いリスクを感じながらも出演を決めた松嶋菜々子さんの慧眼と勇気に驚く。


2011年12月13日 (火)

頑張れ政府,東電と思っていた日々

Itudatte_3  3.11について,一方では風化しつつ,他方では続々出される関連する本を読んで記憶を新たにするということを繰り返している。当日の帰宅困難の際のことは,災害の余波に過ぎないが,続く不安な日々,そして電力不足については,多少なりとも原発事故の影響を強く受けた。

 堀井憲一郎『いつだって大変な時代』(講談社,2011. 222p. (講談社現代新書))を出て直ぐの8月に読んだが,震災後について共感するところが少なくとも二つあった。

 堀井氏はこう言っている。

 この災厄をどう捉えるのかはこれは完全に個人の資質の差でしかなく,悲観論者なのか楽観論者なのかという分け方しかなく,それによってすべての行動が規定されていた。
 つまり,頭の良さや知識の量,日ごろの仲間内におけるポジションや元気さ,明るさ,日ごろの行動力,そういうものは,ほとんど関係なかった。
 ただ「尋常ならざる状況になったとき」悲観的になるか,楽観的なのか,そこしか分けるポイントがなかった。

 確かにその通りである。しかし,私のような楽観論者は少なかったように思う。悲観論者がこれほど多いとは思わなかった。

 また,「五十歳を越えているから,ということもあり,こういうとき,私は愚者の道を選ぶ。つまり思考するのを停止したほうがいい,ということだ。何を信じるかというと,政府の発表だけである。また,東京電力の会見をのみ聞いて,その情報だけをもとに行動規範とする,ということである。これがいま私が選んでる愚者の道である」とも言っている。これにも激しく同意する。

 私は,頑張れ菅政権と思っていた。集まりで「政府と東電の発表を信じている」と言うと,白けた雰囲気になるのがよくわかった。では,諸君は,政府と東電以外の何を信じていたのかと言いたかった。いろいろな学者やオピニオンリーダーの誰が正しく,誰が間違っていると考えることが徒労のように思えた。それに,発表する,しないという判断はあるにせよ,全体の状況を把握しているのは政府であり,東電である。

 堀井氏は続ける。

 隠してることがあって,嘘もついてるかもしれないが,公的機関の隠蔽と嘘である。なかなか大掛かりに臆し通せるものではないし,そもそも,いまついた嘘も隠蔽も,あとで明らかにしなければいけない。彼らの嘘は,あとでわかる。それはたとえば五十年後かもしれないが,彼らや私の死後であるかもしれないが,でも,わかる。つまり,のちに晒される覚悟のうえでの嘘や隠蔽でなくてはいけない。

 政府と東電に判断の間違いはあっただろうが,嘘はつけないと思っていた。その他の人々は,無意識に,また,平気で嘘をついていた,あるいは知らないことにコメントしていた。どのようなマスメディアも検証を受けたら耐えられないだろう。風化というのはありがたいことだろう。

 悲観論者と楽観論者の差は,世の中一般に大きな期待をしているか,期待していないかの違いなのかもしれない。


2011年12月12日 (月)

消え去れ「キャスター付きバッグ」

Bag 新幹線の京都駅の上りホームで並んで「のぞみ」を待っていたら,遠くから転がす音が聞こえてきた。持ち主のからだの半分ほどはあろうかという巨大なカート付バッグがひきずられてきて大きな音を立てている。黄色だ。

 引きずり主は,横はいりしたが,二,三人前のところなので後ろに並べと言いにくく,その間に列車が到着した。キャスター主は,車内でも構わず,キャスターを転がしていく。キャスター付きバッグの持ち主は,みな,旅慣れない連中である。間際に切符を買ったのだろうB席である。C席の人をまたいで自分の席に座ったものの,バッグは,通路に置いたままだ。通る人々が迷惑そうにしている。C席の客がかわいそうだ。

 列車が発車し,しばらく経って車内販売のカートがきたが,もちろん通れない。持ち主は,そこで初めて自分の荷物が人様から嫌われていることに気付いた。想像力が欠如しているので,網棚に乗らない,自分の前に置けない大きなバッグを持って新幹線に乗るとどういうことになるのか今までわからなかったのである。持ち主は,通路をキャスター付きバッグを引きずりながら歩いて行って,どこへ行ったか戻ってこない。近辺にはホッとした空気が漂った。

 別の時,やはり京都駅で,多分中学生だろう,修学旅行生の群を見たが,何とその8割はキャスター付きバッグを持っていた。そればかりか,付き添いのジャージー姿の教師もキャスター付きバッグだった。彼らが移動すると盛大な騒音が立つ。キャスター付きバッグの持ち主は,旅慣れない連中であるという法則はここでもあてはまる。あるいは,彼らの住んでいるところの鞄屋というかショッピングセンターにはもはやキャスター付きバッグしか売っていないのか。

 これが一時の流行に過ぎず,たちまち「ださい」という雰囲気になり,早く誰もキャスター付きバッグなど持たなくなるようになることを願っている。



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