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2011年3月25日 (金)

3月11日とメディア

 人に会えば,地震の時のことを尋ねるが,中には,長い物語をよどみなく話す人もいる。

 東京では電車やバスで見知らぬ人から話しかけられることはほとんどないが,エレベータやバスのちょっとしたきっかけで,年配の方が「地震の時どうでした」と話し始める光景を何度かみたし,経験もした。

 東日本に住んでいる人の多くにとっては,2011年3月11日にどこにいたか,どのような目にあったかという記憶はいつまでも残るだろう。

 私の場合,東急田園都市線の電車に乗っていて,長津田駅を出たところで地震に遭った。電車が急に停まり,ゆっくりと,そして次第に大きく車体が揺れた。座っていたためかさほど怖くはなかった。やがて,車内放送で震度5強の地震と報された。

 電車は,しばらくそのままだった。やがて動き出すだろうと思った。車内には,終業式を終えたらしい近くの私立の小学生低学年が大勢乗っていた。迎えの母親も何人かいるためか,大変落ち着いていた。やがて,おそろいの携帯電話を取り出してかけはじめた。

 電車はなかなか動き出さず,20分後くらいに,全員,電車を降りて長津田駅のホームに上がるように指示があった。コンコースにある書店は閉店になっていたが,本が床に散乱していて始めてひどい地震であったことを実感した。コンコースにはテレビが設置されていたが,まだ,混乱していて,どうなっているのかよくわからなかった。

 ずっとテレビを観ていたかったが,長津田駅を管理するJRと東急の職員が大勢出てきて,余震があって危ないので,駅の構内から出るように指示された。安全を守るというより,何か起きたときに責任を持ちたくないという感じを強く受けた。

 私は携帯電話を持っていない。ウェブが使えるキンドルを持ってはいるが,この時は所持していなかった。それどころか,持っていたデジタル時計はいつものように時刻表示が狂っていた。

 しかし,携帯電話を持っている人達はどこへも通じずに困っていた。公衆電話の前には列ができていたが,固定電話もかけてもつながらないようだった。

 自力で青山の自宅に戻るには,バスに乗る,タクシーに乗る,レンタカーを借りる,田園都市線が動き出すのを待つ,歩くといった選択肢があった。JR長津田駅の前には中山駅行バスが停まっているが,近くの信号機が故障しており,何時動くかわからないという。中山駅に行っても仕方がない。タクシー乗り場には,30人以上が並んでいるが,タクシーは全く来ない。それに,JR東日本は,横浜線の終日運休を早々と決めたという。

 そこで,田園都市線にほぼ沿って渋谷まで通じる国道246号線を歩くことにした。歩き始めたのは,午後5時半過ぎである。

 そして,もう一歩も歩くことはできないという状態で午後9時半頃,二子玉川に到達した。後でゼンリンのサイトで測ったら18キロほどあった。玉川の高島屋は,親切にもロビーを開放し,大型テレビと椅子を配置していた。そこで,椅子に腰かけ,テレビを見続けた。やがて,東京メトロ,京王電鉄,西武鉄道などが運行を始めたというテロップが流れた。そして,高島屋の係員が,東急全線が,午後10時半から運行を始めたことを教えてくれた。

 足を引きずって,東急二子玉川駅に行くと,しばらくして長津田方面から押上行の電車が乗客を乗せて入ってきた。渋谷までだろうと思っていたのでありがたかった。電車はゆっくりと走り,30分ほどで,自宅の近くの地下駅に着いた。地上に出ると,車道はどの方向も車で一杯であり,帰宅する人々が歩道を大勢歩いていた。

 普段,モバイル機器を使わないといっても,通信が途絶して困らなかったわけではない。ただ,これほどの災害となるとモバイル機器にも困難があったようであり,携帯電話を手放せない方々にとっては,不安は倍加しただろう。ただ,大勢の帰宅困難者が同方向に歩いている場合,グループがいて,誰かがモバイルで入手した新しい情報を連れに話すのを漏れ聞くというケースも随分あったようである。

 とはいえ,災害発生当初から現在まで情報集手段として圧倒的であったメディアはテレビである。


首都圏大学の授業

 今,首都圏の大学では,どこも4月以後の授業をどうするかで苦慮している。

 もちろん,地震による被害もあったし,3月11日には,都内の多くの大学は,キャンパスの施設を帰宅困難者に開放した。災害に遭った学生はいないか確認し,被災した学生への支援策を立て始めた。

 しかし,その後の電力不足による節電要請と計画停電の実施により,各大学は,休校あるいは学生の入構禁止措置をとった。そして,多くの大学が,卒業式を中止,あるいは小規模な形で行った。

 大規模な大学の電力消費量は大きく,節電するためには,校舎などの電気を落とすだけでなく,活動を最小限にする必要がある。卒業式は大勢が集まり,交通に負担をかける。余震の続く中,数千人が一箇所に集まることの危険もある。そもそも,事前に計画停電のスケジュールを掴むことができないし,停電では式典はできない。

 勤務先の大学では,学位授与式が小規模に行われ,インターネットで中継された。しかし,卒業式が予定された日には,キャンパスには袴姿の卒業生が記念写真を撮るためにやってきたらしい。とはいえ,それは少数であり,貸衣装業や美容院などの卒業式関連産業は大きな痛手を受けたに違いない。

 さて,新学期である。入学式は,卒業式と同じ事情で行うことは難しく,早々と中止になった。問題は,いつから授業をするかである。大学は大多数が二期制であり,授業は,4月初旬から始まり,7月末の期末試験で終了,この期間を大学により前期,春学期,夏学期と称している。

 早稲田大学は,2011年3月18日付で,2011年度の前期授業開始日を4月6日から5月6日に,授業終了日を8月2日から8月4日に変更したと発表した。これを知った時には驚いた。授業開始日をひと月も繰り下げるのは大変なことである,また,授業終了日がさほど変わらないとなると,ひと月分の授業をどのように行うのだろうか。

 その後,他の大規模大学が,4月からの日程を発表したが,おおむね,5月授業開始である。東京大学は,3月24日までには発表していない。

 計画停電は,4月末までとなっていて,夏に再度行われることは避けられない。停電の中では授業はできない。それより,計画停電中は節電が求められ,授業はできない。一方で,文部科学省は,「大学教育の実質化」という方針を打ち出し,これまで既定の授業時間数を守るよう大学に厳しく求めてきた。

 勤務校が選んだのは,キャンパス毎に異なった授業開始日の設定だった。キャンパスにより計画停電の事情が異なる。所属のキャンパスでは予定より9日遅れの授業開始となるので,実質的には,さほど変わらない。別のキャンパスでは,4月内ではあるがさらに10日遅い開始となる。休日も授業をする可能性があるという。

 大学はこれまで他の大学の様子を見ながら横並びでやってきたが,ここにきて,そうはいかなくなってきた。前例に合わせる,横並びというのは,マネージメントとは言い難い。

 今後のことはわからないが,6月から7月に計画停電が実施された途端に,授業の継続が難しくなるはずである。授業時間数の遵守との折り合いはどう付けることになるのだろうかと思う。


2011年3月 2日 (水)

アカデミー賞授賞式2011を集中して観る

Natpo 今年のアカデミー賞の主演女優賞をナタリー・ポートマンが受賞して,うれしかった。『ブラック・スワン』のナタリー・ポートマンはすでに,ゴールデン・グローブ,英国アカデミー賞,放送映画批評家協会賞を受賞し,作品賞の『英国王のスピーチ』とともに本命だった。

 それだけに,服装ばかりではなく,スピーチも準備万端整っており,最初の仕事(『レオン』)を貰ったリュック・ベッソンから,マイク・ニコルズ(『クローサー』),ダーレン・アロノフスキー(『ブラック・スワン』)までの監督を讃え,よどみなく自分のスタッフの一人一人の名をあげ,最後に両親に感謝するという完璧なものだった。子役から,『スター・ウォーズ』という選択ミスはあるものの,出演作を慎重に選んで,演技派となり,ここまで順調に来てしまった。途中でハーバード大学に入学,卒業した。この頃に作られた『あなたのために』は秀作だった。

 また,コリン・ファースの受賞もうれしい。スピーチも英国人らしいものだった。

 今年の司会者は,これまでのコメディアン路線から外れ,アン・ハサウェイとジェームズ・フランコだった。ディズニー映画出身で演技派へ転身中のアン・ハサウェイがハリウッドで期待されている女優であることがよくわかった。大柄で,顔の造作も大ざっぱでな感じがする。ジェームズ・フランコは,多分,アメリカで人気があるのだろうが,『スパイダーマン』の敵役としてしか知らない。

 そのアン・ハサウェイをはじめ,プレゼンターの何人かがヒュー・ジャックマンに絡んでいた。『ピープル』誌でセクシーな男ナンバー1になったヒュー・ジャックマンは,出演作の選び方に問題があって,なかなかアカデミー賞の候補者にはなれない。

 ヘレナ・ボナム=カーターは,『英国王のスピーチ』と『アリス・イン・ワンダーランド』に出演しているので,幾たびもテレビに映っていた。ヘレナ・ボナム=カーターは,助演女優賞候補だったが,受賞して本当に舞い上がってしまったメリッサ・レオに代わって受賞してほしかった。どのようなスピーチをするのか聞きたかった。


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