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2009年4月29日 (水)

ブルーレイの将来

 レンタルビデオのTSUTAYAにブルーレイディスクが登場した。

Bluray  いつも行っている店では,ブルーレイは,青いパッケージで,縦に7段ほど,数十のタイトルが並んでいる。レンタル料は,DVDより100円高く設定されている。また,ブルーレイのプレイヤーを1日700円で貸し出している。

 レンタルビデオ店に足を踏み入れ,ビデオを借り始めたのは,2000年の夏だった。その店は今はなくなったが,その当時,今のブルーレイディスク同様DVDはほんの少ししか置いていなかった。借りるのはビデオテープだった。

 DVDの量は徐々に増えていった。2002年にDVDのコーナーができ,やがて,VHSと一緒に並べられるようになっていった。新作はVHS中心からDVD中心となり,2004年の冬,新作のほとんどは,DVDとなった。当時の新作『宇宙戦争』は,DVDは50本ほどに対してビデオは4本だった。

 2000年の時点で,5年後にはDVDがビデオテープを駆逐すると予想できたかといえば,自信はない。LPからコンパクトディスクへの転換もこのくらいの期間だっただろう。

 こうしたメディアの転換がおきたことについて,後から考えられ理由として,DVDはビデオテープより嵩張らない,操作しやすい,画質がよいなどといったことを挙げることができるだろう。

 レンタルの場合,持ち運ぶ際に樂というのはかなり大きな利点である。VHSを三本はかなり嵩張ってしまつに終えない。また,購入した場合も,保存場所の点で,DVDは有利である。それに巻き戻さなくてもよい。

 また,DVDの普及には,プレイステーション2が大きく寄与したと言われている。2000年に発売されたプレイステーション2は,2005年に全世界の出荷台数が1億台を超えた。これにはDVDの再生機能があり,本体の価格はDVDプレイヤーよりも安かったので,DVDを観るのに使われ,さらにDVDプレイヤーの価格低下を促した。つまり,同じ時期にプレイヤーが広まるという背景があった。

 では,ブルーレイは,DVDに置き換わるのだろうか。

 2006年発売のプレイステーション3ではブルーレイディスクが使われている。ただ,プレイステーション2ほどの勢いはない。ブルーレイがDVDに優るのは今のところ画質だけである。

 といった点からみて,映画ソフトの分野で,ブルーレイディスクがDVDを凌ぐのは難しいとのではなかろうか。


2009年4月18日 (土)

あるデパートの男性用商品売り場にて

 東京の地下鉄銀座線から直ぐの老舗のデパートである。

 このデパートの男性用の下着靴下売り場は,コの字型で真ん中に島がある形式である。30~40平米くらいだろうか。ここに担当店員が一人常駐している。今は,店員なのか販売員なのか担当者なのかよくわからないが,「店員」とする。

 あまり客はいないので,普段は問題ないのだろうが,先々回に行った時だったか,既に二組の客がいて,年配でやや鈍重な感じの店員は,そのひと組に対応していた。もうひと組が待っていた。コの字型なので,両隣にいる店員には,隣のコーナーの様子はわからないらしい。あるいは,複雑な事情があって,気付かぬふりをしていたのかもしれない。

 せっかちなので,接客中の店員に,「他に人はいないんですか」と言うと,「呼んできます」と行って出ていき,しばらくして一人連れて戻ってきたが,新しくきた店員は当然,先に待っている客の応対をするわけである。単純に,混んだところを手空きの店員たちが手伝うという体制ではなかったようだ。こうして,小さなトラブルは拡大していって,最後にフロアの担当であるという課長から謝罪の言葉を頂いた。

 今日,行ってみたら,その部署の店員は二人と倍増し,若くなっており,その他に何人も遊弋し,いかにも管理職という人たちがそこここに立っていた。以前は,客の半分しか店員がいなかったが,今日は3倍である。

 やればできるではないか,と思うより,そう売り上げに貢献していないはずの男性用商品売り場にも人員を大量投入をするということにあらわれているデパートの苦境がむしろ心配になった。


2009年4月13日 (月)

Suicaとpasmoと電話

 2月に山形に行った時,山形新幹線も走る奥羽本線の駅の改札口にJR東日本のSuicaの読み取り機があった。よく見ると,モバイルSuica専用で,カードのSuicaは使えないと書いてあった。

 要するに携帯電話だけしか使えないのだった。カードより携帯電話が標準というか普通だということがよくわかった。カードのSuicaを持って安心していられるのは,首都圏だけのことなのだ。

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 ICカードのpasmoで駅の改札を通ろうとして,ふと,昨日のことを思い出した。

 都内の地下鉄の駅で,改札口を通る前に,電話をしようと思った。幸いなことに公衆電話があった。けれども10円玉がなかった。100円玉は二つあった。10円ですむのに100円を入れるのはためらわれた。そうだ,切符(160円)を買えばいいと思った。電車に乗るときはいつもpasmoを使っている。今回,切符を買えば,おつりに10円玉が来る。そこで,切符を買って,おつりを得て,切符をポケットに入れて,コインで電話をした。その後の記憶が不確かなのである。

 家に帰って,(確認することを覚えていたのは我ながら感心だが)昨日の上着のポケットを調べたら未使用の切符が出てきた。


2009年4月11日 (土)

半袖,犀

 昨日の9時半頃,地下鉄の四谷駅で半袖の女性を見かけた。その後,二人,電車の中で半袖姿をみた。

 十人に一人はコートを着ている中で半袖である。これまで,自分がコートを着ている間は冬,半袖の時が夏,その間が春と秋という季節感できた。春はどんどん短くなり,やがてなくなってしまうのだろう。

 同日夜のフジテレビの「LIVE2009ニュースJAPAN」のキャスター,滝川クリステル様も半袖姿でのご登場であった。日替わり衣装にご自身の意思はどの程度反映されているのだろうかと思った。

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Clara  グリニス・リドリー『サイのクララの大旅行 幻獣,18世紀ヨーロッパを行く』(Ridley, Glynis.Clara's grand tour : travels with a rhinoceros in eighteenth-century Europe. 矢野真千子訳.東洋書林,2009. 263p.)に満足できるのは,これがサクセスストーリーだからではないか。

 18世紀半ばにインドでたまたまインドサイのクララを手に入れたオランダ人の船長ヴァン・デル・メールは,喜望峰周りの船でヨーロッパに連れて行き,ドイツ,オーストリア,スイス,フランス,イタリア,イギリスを巡業し,どこでも大歓迎を受け,興行師として成功を収める。

 欧州では犀そのものがよく知られていおらず,デューラーが2世紀以上前に想像で画いた獰猛な鎧姿の木版画の影響が大きかった。クララは人間によくなつき,特別な胃のために始終,モグモグと草を食べるだけのおとなしい動物であったが,欧州の人々はその姿に熱狂し,ヴァン・デル・メールは神聖ローマ帝国皇帝から男爵の爵位を与えられ,マリア・テレジアからは通行証を得た。

 著者のグリニス・リドリーは,この時代のクララの興行の痕跡を新聞や日記だけでなく,ポスターや絵,マイセン磁器やコインなどから集めていく。ユニコーン伝説など犀に関わる伝承を解きほぐす表象学的アプローチがあるかと思えば,ヴァン・デル・メールがいかに,長期的視野に立ち,メディア戦略に長けていたかという分析もある。自動車一台分の重さのクララを悪路で運ぶのは大変だったが,ストレスを与えないように配慮されていたらしい。

 歴史書であるが,著者の語り方が上手い。途中でこれはフィクションではないかと思ったほどだった。控え目なユーモアがあり,訳者はうまく日本語に移している。


2009年4月 6日 (月)

ブラウンGPの皮肉な成果

 アイルトン・セナやプロストの頃からF1を見続けてきた。多くの日本人F1ファンと同様,ホンダを応援してきた。だが,周知のように昨年F1から撤退してしまったので困った。とりあえずは,ホンダのドライバーであったジェイソン・バトン選手を続けて応援するかという程度だった。

 イギリス生まれで29歳のバトン選手は,20歳でウィリアムスでF1に初出場,2003年からBARホンダのドライバーとなった。その頃は,直ぐにでも年間優勝をするだろうと言われていたが,ホンダの不調が続いたこともあり,悪条件下のレースで1回優勝したきりで鳴かず飛ばずだった。

 バトン選手はホンダに見切りを付け,ウィリアムスに移ろうとしたが,ホンダに買い戻されたこともあった。しかし,昨年は最悪で,毎回,下位を走っていた。ともかく,ホンダの車が遅かったのである。今年良くなるという予想はあまりなかった。

 マレーシアにも登場した道端ジェシカさんとのゴシップも昨年からあった。バトン選手は日本についての造詣が深い。好きな音楽も日本のポップスらしい。

 そして,ホンダの突然の撤退のおかげで,バトン選手はF1 で座るシートがなくなってしまった。幸い,ホンダのチームをブラウン氏が買い取り,新チームブラウンGPを結成,バトン選手はこのブラウンGPのドライバーとなったのが今年の3月。開幕のオーストラリアグランプリにようやく間に合ったブラウンGPのレースカーが何故かやたらに速い。予選でもバトン選手ともう一人のドライバー,バリチェロ選手が,交互にトップタイムを出した。

Brawngp_2  あっけにとられているうちに,決勝では最前列のブラウンGPの2台は,バリチェロ選手がスタートに失敗して順位を落としたものの,バトン選手は,あたかも何回も優勝しているかのような余裕のあるドライビングで,1位を堅持。追ってきた2位と3位は,脅威になる前にお互いがぶつかりリタイア,2位に上がってきたのは,バリチェロ選手だった。

 そして,第2戦のマレーシアグランプリでも予選1位を獲得したバトン選手は,スタートでつまずいたものの,余裕を感じさせる走行ぶりで難なくトップに立った。豪雨でレースが終わったので,優勝した。2連勝である。昨年までのバトン選手では考えられないことだった。昨年18戦で,ホンダが得たのは14ポイント,今年,ブラウンGPは,2戦というか.1.5戦で25ポイントである。

 ホンダが撤退した途端に,今まで離れていった運が全部戻ってきたようなバトン選手である。これで,バトン選手の負け犬イメージは一挙に払拭され,やはり速い男だったということになった。

 ホンダは複雑だろう。昨年,開発していた新しいレースカーの方向は間違いなかった。あと一年我慢すれば,果実が得られたはずだが,あっさり撤退したおかげで,これまでの投資の全てが無駄になってしまった。まだ,先はわからないが,今のところは,皮肉としか言いようのない結果となっている。


2009年4月 3日 (金)

予告篇の中の長いCM「LUX]

 シネマコンプレックスの映画館というのは,一つの建物の中に複数の「スクリーン」があるので,客は,自分の観る映画を上映している「スクリーン」に間違いなく行かなければならない。といっても間違えることはほとんどない。


 予告編をあまり観たくないので,通常,映画の開始時間から10分ほど経ってから劇場に入ることにしている。そうして,暗い中を入って席に座って,荷物などを置き,さあと思って画面を観たら,もう映画が始まっているようだった。


 どうみても,予告編ではない。出ているのは,間違いなくキャサリン・ゼタ=ジョーンズである。何かSFのようでもありミステリアスな展開である。しかし,今日観る映画は歴史映画であり,キャサリン・ゼタ=ジョーンズは出ているはずがない。


 てっきり,スクリーンを間違えたのだと思った。直ぐに,正しい「スクリーン」に行こうと思い,準備を始めようとしたら,画面は,終わりそうな雰囲気になっていて,まもなくエンドマークが出た。


 これは,LUXの長いコマーシャルフィルムだった。以前,ニコール・キッドマンのシャネルの長いCMを観たが,台詞がなかった。ところが,このキャサリン・ゼタ=ジョーンズのものは,短い劇映画仕立てになっていて,台詞もあり,紛らわしいものである。


 うっかり出て行って,係員に尋ねたら恥をかくところだった。構わないのだが。


 このLUXのCMは,プラグインが要るが,ウェブでも視聴可能である。

Lux


2009年4月 2日 (木)

桜と気候,円山公園の桜

 いつの間にか,年ごとの気候の僅かな違いが気になるようになってきた。以前は,前の年の様子など全く忘れていたし,気にしていなかった。桜や紅葉を観るようになって,多少意識が高まった。桜の種類によって開花時期は随分違っていることもわかるようになった。

 それにしても今年は困ったものである。

 なお,以下は東京の話である。

 一昨年,2007年は暖かい冬だった。少しでも暖冬であると,温暖化と騒がれるがこの年がそうだった。この調子では,桜の開花は,かつてないほど早いだろうと言われた。ところが3月中旬に寒くなり,開花は20日で早いとはいえ驚くほどではなかった。この後,染井吉野が満開になってから,気温が低くなったので,満開が長続きした。

 昨年は,気象庁は平年並みと言い張ったが,寒い冬だった。気象庁は古いデータを持っており,温暖化と言われるようになる以前の年を含めて「平年」を出しているから実情に全く合わない。最近10年を「平年」としたほうがよほどいい。

 それはともかく,昨年は,寒かったにもかかわらず開花日は22日で,比較的順調に満開になった。

 今年は,暖冬気味であったが,2月下旬から3月はじめにかけて気温が下がった。しかし,3月中旬に高温の日が続いて,21日が開花日となった。ところが,このあと気温がそれほど上がらず,雨が何度も降っている。そのため,満開まで時間がかかり,染井吉野にも葉が先になる心配があり,雨で花の色があせてしまい,今ひとつで終わる可能性が高い。

 一挙に暖かくなり,開花,満開となるのが一番良いようだが,なかなかそうはいかないものである。

 さて,2009年3月31日の『朝日新聞be evening』,「日本一の桜の名木に見とれる」という企画で「読者が決める『日本一』は?」として,9310人からの回答が集計されていた。1位に選ばれたのは「円山公園のシダレザクラ(京都)」(3994人),2位は,「三春の滝ザクラ(福島)」(2285人),3位は「六義園のシダレザクラ(福島)」(1824人)だった。どれも観たことがあるし,円山公園は,15年ほど毎年観ている。どれも紅色の枝垂れであるのは当然のことである。

Maruyama2009_2 十年前の円山公園の桜は,これはたいしたものだった。ところが,この十年の間に急速に勢いをなくしてしまった。今では,豊かな感じが全くしない。少しでも他の枝を永らえるように多くの枝を切るしかなかったので,悲しい姿になっている。この桜が円山公園に移植されて60年であるが,枝垂れは100年以上その姿を保つらしい。この桜ほど,十分な手当をされている桜は他にないと思われるが,何か環境に問題があったのだろうか。それとも団塊世代はこんなものだろうか。


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