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2008年12月21日 (日)

無念,一回戦で敗退

 ラグビーの大学選手権は,今年から組み合わせの抽選方法が変わった。各リーグの1位校だけがシードされ,残りは抽選である。対抗戦で帝京大,早稲田大,日体大に次ぐ4位だった慶大は,帝京大との対戦となった。ただ,昨年と同じ方式だったら東海大になる可能性もあった。

Rugby2008_3

 慶大対帝京大は,対抗戦では5-5の引き分けだった。フォワードに巨漢,留学生を揃える帝京大に対し,慶大はスクラムは劣勢であるが,ディフェンスはよく,なかなかトライをとらせない。前半は,慶應のペナルティゴールの後,帝京のウィングがキックボールをよく追いかけてトライをあげた。

 後半の前半分では,スクラムトライをあげた帝京大が勢いづき,慶大陣内の慶大の反則でペナルティゴールをあげ,20-3まで差を広げた。しかし,30分過ぎに慶大は初トライ。ペナルティゴールを取られたのちに,もう一つトライをあげて23-17にまで迫った。ロスタイムに敵ボールを奪ったが,攻撃しきれず負けた。フィットネスの差があるとみて,終盤で勝負したのだろうが,得点差が大きかった。

 途中の蹴り合いの連続に,「ラグビーをやれ」という声があがったが,新しいルールでは,これがふえるのは予想されていたことである。グラウンドの近くで観ていたので,キックされたボールのうなりに迫力を感じた。慶應のバックスは,よく対応できていたし,帝京のハーフのキャッチングのうまさにも魅了された。自分たちは一つのミスをせず,相手のキックミスやノックオンを待っているわけであり,これはこれで緊迫した場面であって,さぼっているわけではない。

 今年の慶大は初戦の日体大戦での躓きが大きかった。これを落とさなければ別の展開があったように思われる。しかし,主将をもとによくまとまり,愚直にタックルし続ける好チームだった。


2008年12月 7日 (日)

多島斗志之『黒百合』の驚き

Kuroyuri  一昨年,多島斗志之氏の作品を全て読むことに決め,手に入るものから読んでいる。とりあえずは,創元文庫の『不思議島』,『二島縁起』,『海上タクシー〈ガル3号〉備忘録』,『白楼夢』や角川文庫『離愁』,『追憶列車』などからである。


 昔読んだ『<移情閣>ゲーム』をもう一度と思い古書店で手に入れた途端に,講談社ノベルスで復刊された。単行書としては,昨年は『感傷コンパス』,今年は『黒百合』(東京創元社)が出版された。


 『黒百合』(多島斗志之 ,東京創元社,2008. 233p.)は,昭和27年の六甲山が舞台である。東京の杉並区に住む寺元進14歳は,夏休みに父の友人である浅木さんが持っている六甲山の別荘に一人で招かれる。浅木さんの奥さんと一人っ子浅木一彦が住むその別荘で,724日から819日までを過ごした。直ぐに,金持ちの倉沢家の娘の香と出会う。三人は同じ歳で,毎日一緒に遊ぶようになった。


 「私も一彦もすぐに彼女を好きになった。ふたり同時につまづき,折り重なって転んでしまったような,そんな初恋だった」。そこに,戦前のベルリンでの出来事や,終戦前の空襲のエピソードがはさまれている。

 

少年少女が夏休みの体験によって成長する「思い出の夏」としてよくできている。『感傷コンパス』に似た作品なのだろうと思った。ところが最後に,読者の前には,何が起きていたのかが明らかにされる。今まで前景となっていたものが後退し,背景部分が浮き上がってきて,真の主人公が現れる仕掛けになっている。思わず,何カ所か読み返さずにはいられなかった。何故,この場所,この時代が設定されているのか,阪神電鉄はそのままなのにどうして「阪急電車」ではないのか,などのいくつかの疑問が氷解した。鮮やかな手並みである。語り手は真相を知らないままなのである。もう一人の主人公である翁と呼ばれる人物の造型からもまた,静かな敬意が感じられる。

 

 今年の10月に出たので読んだ人は少ないはずだが,投票により選ばれる『このミステリがすごい!2009年版』や『週刊文春』の「ミステリーベスト10」で『黒百合』が第7位に入っているのは,誰もが認めざるを得ない傑作だからだろう。 

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2008年12月 5日 (金)

HONDAのF1撤退は「残念」ではなく「仕方がない」ことだ

Honda  ホンダがF1を撤退することが125日に発表された。福井社長は「Hondaはこの急激かつ大幅な市場環境の悪化に対し,迅速かつフレキシブルに対応をしてきましたが,将来への投資も含め,さらに経営資源の効率的な再配分が必要との認識から,F1活動からの撤退を決定いたしました」ともっぱら今回の金融危機に伴う景気後退をその理由としている。

 

 撤退は,2009年から撤退するなら,2007年か,2008年の前半に発表するのが普通である。チームのスタッフなどの行く先を考えるなら,そうした余裕が必要であるが,それができなかったのは,よほど業績が悪化しているのだろう。

 

しかし,F1を観ているものにとっては,撤退は唐突ではない。今回,ホンダがF1に参戦して以来,優勝したのはたった一度である。一度も上り調子の時期はなく,今期もよくなる気配は全くなかった。F1では現在,予選は,3回行なわれていて,1回目で16位以下,2回目で11位から15位,3回目で10位以上の順位が決まる。現在のドライバーのバトン選手は,全18回で,予選の平均は14.9位,バリチェロ選手は15位である。つまり,2台とも予選のほぼ半分は1回目で終わっていた。基本的に遅いので,上位にいても,後続車をふさぐ役割であり,終盤では周回遅れになることの繰り返しだった。豊富な資金と人材を投入しても向上する気配は全くなかった。

 

 もちろん,F1自体の運営をめぐる様々な問題にも嫌気がさしたのだろうと予想される。こちらの方については,ホンダの行動は,F1を分裂させたり,崩壊させたりする可能性もある。

 

 けれどもマクラーレンやフェラーリと優勝を争うような立場にいたら,撤退はなかっただろう。今の成績では,ホンダのブランドに傷が付くという判断は妥当である。

 

 「残念」なのではなく,「仕方がない」のである。


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