« 2007年3月 | トップページ | 2007年5月 »

2007年4月24日 (火)

『どんど晴れ』:過剰なおもてなしの老舗旅館

Dobare  NHK朝の連続テレビ小説は『どんど晴れ』は,初回の視聴率は14.9%とこれまでで最低であったが,2週間目には,20.2%を記録しており,もうこれで最高視聴率で下から3番目にあがっている。それにしてもこのポスターはどうにかならなかったのか。

 東京でケーキ屋を営む父のもとで修行中の夏美(比嘉愛未)23歳は,まもなく,柾樹(内田朝陽)と結婚することになっている。柾樹の実家は,盛岡の老舗旅館であることを,柾樹の祖母カツノ(草笛光子)の喜寿祝いのために盛岡に行ってはじめて知る。旅館は,次男の嫁の環(宮本信子)が女将として取り仕切っている。ところが,カツノは,亡くなった長男の子の柾樹に後を継ぐよう頼む。柾樹は,引き受けるが,婚約者の夏美は旅館の女将には向いていないと思い,婚約を解消したいと言い出す。夏美は,それなら女将の修業をすると行って,周囲の反対を押し切りカツノの元に赴く。そして,修業が始まる。

 ここまでの経過は,ひと月かふた月かけてもよいはずであるが,ジェットコースターで,たった二週間でこなしてしまった。この展開の速さと比嘉愛未の整った顔立ちと夏美のよく言えば一途で,悪く言えば周囲が見えないところが,人気の出てきた理由かもしれない。少なくとも,ふた昔前の母親像で,表情の乏しい森昌子のためではなかろう。

 さて,先週のエピソードは,次のようなものだった。降り出した雨の中,旅館に到着した初老の男性客に,夏美が傘を差しだしたのはよかったが,この客が,敷石で滑って転び腰を痛めてしまった。雨が降ったら敷石に敷物をかけることになっていたが,もちろん夏美は知らなかった。この客が夜中,手洗いに行くときに肩を貸そうとと女将の宮本信子は部屋の外で寝ずの番をする。夏美も隣で一緒にひと晩を過ごす。さらに夏美は,翌日,喫茶店に集まる仲間(といっても自分は新参者のはずだが)の助けで,この客の見たいという花のある場所に連れて行く。客は,「また来年も来る」と行って帰っていく。

 こうした,小さな失敗をするが,最後にはそれを挽回する手柄を立てるというエピソードを繰り返してこれからも続いて行くのであろう。普通なら,周りが気を遣うから,修業をするなら,別の旅館を紹介して貰うだろうと思うのだが。

 それはともかく,思ったのは,こういう女将のいる旅館には泊まりたくないということだった。肩を貸すためにだけひと晩,部屋の外で待っているのが「おもてなし」であるとするなら,小心者には,気疲れがする。このような過剰なサービスを求める客は減っているのではなかろうか。そうすると,こうした老舗旅館の女将は必要かということになるはずだが,このドラマは女将像の改革にまで至るのだろうか。主人公は,明るくて古風なので大女将に気に入られているのだが。

| コメント (1)

2007年4月21日 (土)

グレイス公妃は「花を愛した」

 三越新館で開催されているMitsukoshi 「グレース・ケリー展」に行った。

 世紀のロイヤルウェディングと交通事故死と言えば,ダイアナ妃であるが,これは,グレイス・ケリー(1928-1982)の再現である。ただ,グレイス・ケリーは,ハリウッドのセレブリティから王族というセレブリティになった。パリス・ヒルトンがウィリアム王子と結婚すれば,いろいろ劣る面はあるもののやはり別のセレブへの転身となる。

 「グレース・ケリー展」は閑散としているかと思ったが,違った。高齢の女性たちでにぎわっていた。入場者の95%は女性だった。デパートのこうしたイベントに出かけることはあまりないので,入場料800円は信じられなかった。集客イベントであるし,広いグレイス・ケリーグッズ売り場もあり,また,内容の乏しさからみて300円が妥当なところである。

 『恋愛専科』のスザンヌ・プレシェット,『天使のくれた時間』のティラ・レオー二のように,『裏窓』はグレイス・ケリーの映画である。俯瞰,覗き見,サスペンスよりも,毎晩,ジェームズ・スチュワートを訪れる良家の娘でファッションモデルのグレイス・ケリーの美しさのほうが,ずっと印象に残る。

 グレイス・ケリーのファンであることに変わりはないものの,ロバート・レーシー『愛しのグレース』(Grace,Lacey, Robert.大橋雅子訳.近代文藝社,1995,500p.)を読んで,多少,見る目は変わった。強い父親像が刷り込まれたグレイス・ケリーは,共演する年配俳優と常に恋愛沙汰を引き起こしていたという。

 もっともこの本は,結婚後,公妃となってからが中心である。1981年3月,イギリスのチャールズ皇太子が婚約発表をして,ダイアナ・スペンサーが初めて公式の場に登場したとき,グレース公妃は化粧室で一緒になった。マスコミについてアドバイスした「今は,心配しなくても大丈夫よ。これからもっとひどくなるから」。

 結婚生活は幸せではなかった。しかし,彼女はがんばった。モナコのグリマルディ家は,評判が悪く,結婚式には,ヨーロッパの王室は来なかった。しかし,グレー公妃の葬儀には,ベルギー国王夫妻,スウェーデン皇太子,ミッテラン夫人,それにダイアナ妃も列席した。それは,グレース公妃がモナコの名声を高めたからだった。

 グレース公妃は,1976年にエジンバラ・フェスティバルで詩を朗読し,絶賛され,以後,定期的に朗読のリサイタル旅行に出かけるようになった。「グレース・ケリー展」に行ったのは,朗読のCDなどを売っているかもしれないと思ったからである。

 けれども,主催者(読売新聞など)は,以上のような事柄には一切の関心はなく,「花を愛したモナコ公妃」として,関連物品の販売をしたいようだった。

| コメント (0)

2007年4月12日 (木)

欧州にも時刻表マニア

 昔からマニアの代表として取り上げられる鉄道マニアの中で時刻表マニアは,日本だけに違いないと勝手に思いこんでいたが,これは,大間違いというか,「国際社会」では,日本の時刻表マニアは,さほど知られてもいないようだった。

 長い間探していた『逃走特急(ハンネス,列車の旅)』というドイツ映画が,意外なところで見つかり,早速,観た。

Zugvogel2  主人公は,ドルトムントのトラック運転手のハンネスという中年男である。ハンネスの趣味は,時刻表である。日がな一日,時刻表を眺めて,二つの土地の間の鉄道での最短時間を調べている。ハンネスは,フィンランドのラップランドの果ての町イナリで,「第一回時刻表競技大会」が開催されることを知り,参加することにした。上司に休暇を取りたいというと,くびを言い渡される。そこで,上司を殴って,部屋を出た。ハンネスはドルトムントからインターシティに乗り,ハンブルグに行き,フェリーで海峡を渡る。さらに,船でバルト海を横切り,フィンランドのトゥルクに到着。そして列車で北上し,最後はバスでイナリにたどり着き,競技会に出場する。

 競技会では,パリ・マドリッドの最速の経路,アルメニアからバグダッドまでの最短経路といった問題に答えていく。最後まで勝ち残ったハンネスの相手は女性で,問題は,ミュンヘンからイナリまでの最短経路だった。

Zugvogel1  映画では,上司が殺されて,ハンネスに疑いがかかり,自分では気付かぬ間に警察に追われるようになっていた。犯人はハンネスかというトラベルミステリではあるが,実際は,旅の途中で,様々な人々に出会うというロードムービーである。

 最後にちょっとしたひねりがあるが,さしたるドラマもないし,列車の旅がマニアックに撮られているわけでもないが,満足のできる映画だった。

| コメント (0)

2007年4月 7日 (土)

京福電車の桜見物ライトダウン

 京都では,京福電鉄に乗るのが楽しみとなった。嵐山線(四条大宮-嵐山),北野線(嵐山線帷子ノ辻-北野白梅町)からなり,今は「嵐電」(らんでん)と呼んでもらいたいらしい。

 京福電鉄は,京阪グループに属し,他に比叡山のケーブルカーを運行,福井でも事業を行っている。

 この路線は,100年近く前に開業した。京都の西部を走り,一部は路面電車となっている。沿線には古寺や撮影所などの観光名所が点在しているので,昼間は,住人と観光客が入り混じっている。10分間隔で駅は小さく,乗るに便利,これこそ最先端のライトレールではないかと思う。

 京福電鉄は,2007年3月17日に駅名を変更した。もともと,京都の古い地名が駅名となっていたので,無粋な駅名に変更されるのかと思った。しかし,そうではなかった。

 来春、嵐電の駅名(7駅)が変わります。によれは次のような変更だった。

  • 三条口 → 西大路三条
  • 太秦 → 太秦広隆寺
  • 車折 → 車折神社
  • 嵯峨駅前 → 嵐電嵯峨
  • 高雄口 → 宇多野
  • 御室 → 御室仁和寺
  • 竜安寺道 → 龍安寺

 拍子抜けするような変更である。京都の地名によくある,今ではあいまいとなった「口」や「道」をやめたり,おそらく長い間,観光のための寺社からの要請に一挙に応えたものと予想される。

 桜の季節,2007年3月31日から4月8日まで,「嵐電,桜のトンネル」というイベントを行っていた。北野線の鳴滝駅と宇多野駅の間,200メートルの線路の両側に桜がある。その満開の時期の夜,桜をライトアップし,電車の室内灯を消して走るという趣向である。Randen

 是非,体験したかったが,昼間にしか通ることができなかったのは残念。

| コメント (0)

2007年4月 5日 (木)

京都の桜

Sakurak1  京都で一番の桜は,円山公園の紅枝垂れ桜「一重白彼岸枝垂桜」であることは,衆目の一致するところである。祇園あるいは四条河原町,東山などから直ぐ近いという立地のよさだけでなく,その高さ,四方に張り出した枝振りのよさ,枝の隅々まで密に咲いた紅色の花,全体の量感,妖艶さ,昼間でもライトアップでも見映えがする全天候型だった。

 十数年前,夕方に行った時,夜にニュースステーションの中継があるとのことで,桜の前をクレーンカメラが動き回っていた。その時,そんなことは全く意に介さない圧倒するような力を感じた。誰でもが,言葉を無くすほどの美しさだった。

Sakurakk2_1  しかし,その頃から変調が始まっていた。1999年には,手当のためであろう,幹が薬で真っ白に塗られていた。まるで,おしろいを塗りたくって厚化粧をのようだった。この状態が,三年ほど続いた。けれども好転することはなく,どんどん悪化してきた。もう全ての幹に栄養を行き渡らせることができないからだろう,かなり枝が切られている。

 ここ数年は,満開でも,もう往年の姿ではなくなっていた。左上は,昨年12006年であるが,骸骨のようである。

Sakurak3_3  ただ,今年,2007年は,少し良くなっているように思えた。夜桜見物の帰りの京都の老婦人が「化け物や」というのを聞いた。最初は,老残ということかと思い,いや,京都人のこの桜に寄せるアンビバレントな感情を表しているのかと考えた。しかし,むしろ賛辞ととるべきなのだろう。これほど,追いつめられても,その妖艶さを失なわない生命力に対し,こう言ったのだろう。

 さて,今年初めて,醍醐寺霊宝館の桜をみた。『京都新聞』の「大シダレ,満開に感嘆の声という記事ではこう書かれていた。

 醍醐寺霊宝館(京都市伏見区醍醐)の樹齢180年とされる大シダレザクラがほぼ満開となり,連日全国から訪れた2000人を超す花見客が感嘆の声を上げている。  大シダレザクラは高さ9メートル,幹回り3・1メートル,葉張り東西24メートル・南北20メートル。好天に恵まれた29日,ちらほら咲きのソメイヨシノの近くで,同館休憩室の大きなガラス窓からも滝のような花を披露した。  この桜は2001年秋の同館改装オープンまで,やぶや建物に隠れて一般にほとんど知られていなかったが,近年人気が急上昇。何度も訪れた白幡洋三郎国際日本文化研究センター教授は「桜の立体的な障壁画が花の枝を差し伸べているように見え,京都一とも思う美しさ」と話している。

Sakurak4  地下鉄の醍醐駅から醍醐寺までは,少し距離があるが,見物客が連なって歩いている。これまで醍醐寺霊宝館には,十本以上の枝垂れ桜があり,大枝垂れの手前の三本も立派である。大枝垂れは,円山公園の桜のように背は高くないが,横に大きく広がっていて貫禄を感じる。色も濃く,樹勢もある。樹齢180年というのが事実であれば,植え替えられて60年の円山公園の桜より二倍の歳であるが,老いを感じさせない。

Sakurak5  今年,初めてみたもう一本の桜は,花園駅前の法金剛院の紅枝垂れ桜である。この寺には,「待賢門院桜」という名木があったのだが,昨年枯れてしまい,切り倒したとのこと。その子孫にあたる桜が庭に植えられていて,これは最も大きな樹齢30年の桜である。いかにも若々しく,広々とした庭の中でこれからきっと大きく育つだろう。

| コメント (0)

« 2007年3月 | トップページ | 2007年5月 »