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2007年3月30日 (金)

青山墓地の桜の下で花見をする人々

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 昨日からの高温と朝方の雨のためか,東京の青山墓地の染井吉野は満開となった。東京の桜の開花は今年は3月20日だったが,満開となるまでに10日かかっているわけである。昨日まではせいぜい五分咲きだったので,満開となったことが伝えられていないのであろう人は少ない。

 桜には,勢いがピークとなる数時間がある。その時には,色が薄くてあまり好きになれない染井吉野であっても輝くほどに美しい。青山墓地の染井吉野は,今日(2007年3月30日)の午後がそのピークだった。空は青く澄み渡り,快晴で,気温は高めである。少し,つぼみが残るものの,散る花びらもあるし,新芽が出てきた枝もあった。

 世の中の組織の区切りは,3月と4月の間にあり,大体の工事は,3月の年度末にできあがる。青山墓地では,一部の歩道の拡張工事を行っていたが,この日までに間に合わなかった。

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 青山墓地からは,できたばかりの「東京ミッドタウンビル」がよく見える。都内で最も高い高層ビルで54階である。防衛庁が移転した跡にできたが,遠くからもよく見える。「六本木ヒルズ」のテナントの大口が「東京ミッドタウン」に移ったらしい。展望台はないようだが,「六本木ヒルズ」のように,一年で4,400万人を集めることはできるのか。「六本木ヒルズ」に行く4,400万人が「東京ミッドタウン」にも行くのだろうか。

 もう一つ,この近くに高層ビルができた。都営南青山一丁目団地建替により整備された「青山一丁目タワー」である。こちらは46階であるが,細いので随分高いように見える。こちらは,居住用なので,見物はできない。

Sakura3 夜,もう一度,青山墓地を通った。気温が急速に低下して風邪もある。それでも,冷たい土の上に青いビニールシートを敷いて,ホカロンをつけ,コンビニで買ってきたビールとおにぎり,スナック菓子を食べながら,花見をする連中がいた。酔狂としか言いようがない。

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2007年3月26日 (月)

『あなたのTシャツはどこから来たのか?』で知るグローバリゼーション

Tshirt  ピエトラ・リボリ『あなたのTシャツはどこから来たのか? 誰も書かなかったグローバリゼーションの真実』(Rivoli, Pietra.The travels of a T-shirt in the global economy.雨宮寛, 今井章子訳.東洋経済新報社,2007.331p.)は,原題の『グローバル経済の中のTシャツの旅』よりうまい邦題である。

 ジョージタウン大学ビジネススクールで国際経済を教えのピエトロ・リボリ教授(女性)は,1999年夏にフロリダのドラッグストアの店頭にあった大箱の中からTシャツを選び出し,5ドル99セントで購入する。このTシャツはどこから来たのか。ラベルを見ると中国製である。しかし,その原料となる綿は,テキサス産だった。まず,綿農園を営む一家を訪ねる。こうして,米国の綿作,中国の縫製産業,そして,米国の繊維貿易,さらには,古着産業までを順に取り上げていく。

 語り方が上手いというだけでなく,いくつもの常識を覆す事実がつきつけられて爽快である。確かに著者の研究者としての力量を感じさせる。全体のアイデアだけでなく,歴史的な背景の把握,調査は行き届いている上,そこから出てくる結論は,新しい知見に満ちている。

 米国の綿作は,アフリカやアジアの発展途上国から補助金で支えられていると非難されている。聞き取りの相手の近くにブッシュ大統領が週末を過ごす牧場があり,綿農場は政府から手厚い保護を受けているのは確かである。しかし,米国の綿農家は,不安定な労働力,価格低下への不断の圧力と戦い,研究会,機械化,イノベーションでこれを克服してきた。さらに,かつては捨てていた綿実をはじめ,綿糸以外の部分も今では立派な商品となっている。本来は,インドやパキスタン,アフリカの国々が綿作を引き受けて発展するはずだが,米国が洗練されすぎていて,競争となるまでにいたらない。

 綿紡績産業は,18世紀の英国にはじまり,米国では,ニューイングランドから南部へと移っていった。日本では,19世紀末から20世紀初めに主要産業となっていた。綿産業はでは,貧しい少女を安い賃金で長時間働かせるという搾取から成り立ち,安い労働力を求めて,世界を移動していった。今の中国の上海にある綿工業も同じである。Tシャツが安いのは賃金が安いためである。ただ,女工たちにとっては,繊維産業が,もっと救いようのない貧しい田舎での生活から抜け出させ,少なくても自分で使うことのできる金を持ち,都会の活気にふれ,次の段階に進む機会を与えているという面もあるのは見逃せない。また,繊維産業の跡は,新しい産業が必ず生まれている。

 米国で捨てられたTシャツの一部はタンザニアに行くが,この古着の流通システムは,今は,自由貿易の中になり,創意工夫が活きる仕組みになっている。今は,気持ちのよい流通機構が維持されているが,ここにも中国の影がある。

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2007年3月19日 (月)

ラグビー六か国対抗:アイルランドの悲鳴

 ラグビーの六か国対抗最終日だった17日には,2時間の時間差で,ローマでアイルランド対イタリア戦,パリでフランス対スコットランド戦,カーディフでウェールズ対イングランド戦が行われた。

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 この時点まで,フランスとアイルランドが3勝1敗で同ポイントであるが,得失点差4でフランスが1位である。フランスは昨年も優勝したが,1985年以来,アイルランドは優勝していない。

 最初のアイルランド対イタリア戦では,アイルランドは,大量得点をあげ,失点を抑えできるだけ多い得失点差となるようにしなければならない。アイルランドは,がんばり,終了直前までに51-17と得失点差は34点となっていた。この場合,フランスは,31点差で勝たなければならない。

 試合時間を過ぎ,アイルランドは,ペナルティキックを得た。これをラインの外に蹴り出せば試合は終了する。しかし,さらに点差をつけようとするアイルランドは,そのまま攻撃を続けた。おそらく,テレビを観ていたアイルランドの観客はみなこの選択を支持したことだろう。誰が見ても正しい判断と思えた。ところが,イタリアがボールを奪い,トライに結びつけてしまった。アイルランドの選手たちや観客はさぞかし呆然としただろう。

 この結果,51-24,すなわち得失点差は27点で,フランスは24点差をつければ優勝と,ハードルが低くなった。

 続けて行われた,フランス対スコットランド戦は,スコットランドに先制されたもののフランスが優勢のうちに試合を進めた。しかし,終了間際までのスコアは39-19だった。ここで終われば,アイルランド優勝となる。

 ところが,やはり,最後のプレイでフランスは,ビデオ判定の際どいものだったがトライをあげて,46-19となり,イタリアに4点差をうけ優勝を決めた。

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 テレビでこの試合を観ていたアイルランド人の悲鳴が聞こえてきそうな幕切れだった。

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2007年3月17日 (土)

西国三十三所第三十三番札所谷汲山華厳寺で満願

 2006年11月の後半である。最後の第三十三番札所に向かう。第三十三番札所華厳寺は,岐阜県にある。6月に紀伊半島の南端から始まった三十三所巡礼は,5月後に,岐阜で終わる。考えてみれば,この満願の寺以外は,JR西日本の領域内にあり,ここだけはJR東海である。

Sange  今,三十三所の寺に行くと,「散華」なるものが置いてあって,渡してくれる。これは,前回はなかった。寺によってこの「散華」に対する熱心さは異なる。最初は,集めていたが扱いにくい形状なので,途中から面倒に思ったが,コレクター心理になっているので,結局,全部集まってしまった。

 JR西日本のサイトの中に「JRおでかけネット」なるものがあり,そこでは「<a href=http://www.jr-odekake.net/navi/saigoku/>西国三十三所巡礼の旅キャンペーン</a>」の中で,スタンプラリーを2008年3月31日まで実施しているとのことだった。「札所の各寺で御宝印を押印された朱印帳とスタンプカードを、指定スタンプ設置駅(JR駅、一部KTR駅)へご持参ください。係員へ朱印帳をご提示いただきますと、スタンプカードの札所番号の所にラリー用スタンプを押印いたします」と書かれている。このことは,後で知った。大人向けスタンプラリーであるが,長谷寺に行った後にわざわざ桜井駅に行くのは面倒であろう。賞品もデジタルカメラ8名という魅力のなさである。JR西日本もあまり気合いは入っていない。
 
 さて,華厳寺のある谷汲へは,大垣から近鉄と樽見鉄道という二つの私鉄がある,樽見鉄道は,レールバスという気動車が走っている。終点樽見には,薄墨桜があるが4月は臨時列車が出るほどにぎわうらしい。谷汲口までは十余の駅があり,いずれも昔からの由緒ある地名であるが,「モレラ岐阜」なる駅名がある。この駅の近くにショッピングセンター「モレラ岐阜」がある。周囲には何もない。畑の中である。

 谷汲口駅からバスに乗り,15分ほどで華厳寺参道入口に到着する。この直ぐ近くに,名鉄の駅があり,前に来たときには,帰りに名鉄で岐阜に出た。ところが2001年に廃線となった。終点の谷汲駅は保存されている。

Kegon2_1 要するに,かつては三十三所めぐりの満願の寺として谷汲山華厳寺へ安定したかなりの数の参詣客がいたのだろう。今は,三十三所巡礼が下火で,しかも車やバスになってしまった。
 
 ここの参道は立派で,両側に土産物屋が立ち並んでいる。歩道には,桜ともみじが交互に植えられていていて,紅葉は盛りである。雨模様であり人影はそれほど多くない。

Kegon7_1  華厳寺は満願の寺であり,特別扱いで,三ページに書き込まれ,900円だった。

 二度目でもあるため,満願でも特に感じることもない。

 樽見鉄道の谷汲口駅で大垣行きの列車を待っていたら,徐々に中学生が集まってきた。どうやら学校は休校のようだ。この子供たちは,全員「モレラ岐阜」で降りた。話を盗み聞きしていてわかったのだが,「モレラ岐阜」には,かなりスクリーンの多いシネマコンプレックスがあるらしい。

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2007年3月 9日 (金)

携帯電話なしでは20歳代とは住む世界も違ってしまうのか。

 『TACTAonline』(2007年3月号)のパソコン見放す20代「下流」携帯族と題された「第二のデジタル・デバイド出現。パソコンは30~50代限りで、高機能携帯でもう十分」という内容の記事はショックだった。

 2000年から2006年までのウェブ利用者全体の年齢構成比の推移のグラフ(ネットレイティングス社調査)があり,

  10歳代 200年17.3% → 2006年20.9%
  40歳代 200年19.5% → 2006年24.0%
  50歳代 200年 8.9% → 2006年11.3%
  60歳代 200年 3.6% → 2006年 7.4%

となっている。

 ここで,20歳代は

  20歳代 200年23.6% → 2006年11.9%

と大幅にシェアを落としている。構成比なので,この減った分を他の年代が分け合っているということになるが,20歳代に異変が起きていることは確からしい。

 20歳代の人たちは,携帯電話の画面の小ささや入力を苦にしない。

指先がままならない中高年には「ケータイでの親指入力」自体もきつく,使い慣れたPCの10本指キーボードでないとまごつくだろう。20代はこれがハンデにならない。1999年に「iモード」が登場してから8年。10代のほとんど,20代の多くは親指族だ。

 それどころか,親指入力族の中には,「キーボードで字を打てない」連中が増えてきているらしい。記事では,

PCが操作性や安定性からみて未熟な製品であることは事実だが,ホワイトカラーは当分,PCインフラに依存しなければ仕事ができない。しかしブルーカラー,あるいはフリーターは必ずしもPCを必要としない。

と新しいデジタルデバイドが出現しはしないかと心配している。

 携帯電話を持たないものにとっては,事態はここまで進展しているのかという驚きが先立つ。さらに,社会の趨勢から取り残されるのはPC族になるのではないかという少しばかりの不安も持ってしまう。

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2007年3月 7日 (水)

『環境の歴史』の翻訳は...

Kankyonorekisshi  ロベール・ドロール,フランソワ・ワルテール『環境の歴史』(みすず書房,2007年)は,朝日新聞の書評では,

 主要な環境問題と社会との相互作用,自然現象に対する認識の歴史的変遷,その時々の科学的解釈などを展望した本書は,歴史的知識を武器に今こそ政治的行動を起こすべきだというメッセージを含んだ刺激的な歴史書である。(2007年02月11日)

とあり,読売新聞の書評でも,

 歴史学の領域を拡大した貴重な仕事であり,わが国の歴史研究者にも読んでもらいたい。(2007年2月26日)

と絶賛されているので,読み始めた。

 第1章の2段落目は次のような文章だった。

 ヨーロッパの新石器時代あるいは旧石器時代の段階に「とどまっている」と考えられる現在の民族と比較をするのはまちがいだろうということを,わたしたちは知っている。なぜなら,まず,彼らの環境は(もはや)正確には同じでないから,また,すでに異なるある自然をみる彼らの知覚は,ヨーロッパが知らなかったいろいろな環境を植民地化する近隣の民族からたくさんの影響を受けてきたからである。そして結局,彼らの目と,彼らの感覚のすべては,わたしたちのそれと今も昔もちがうからである。わたしたちの抑えがたい現在のアプリオリによって,発掘によって提供された材料から壊れやすい推論をすることも,まったく同様に危険である。まことに多くの場合,花粉粒から容器の破片まで,杭から針穴のついた針あるいは最初の掘り棒まで,記述し証明することで満足しなければなるまい。

 最初の文の主語は,「抑えがたい現在のアプリオリ」とは,「掘り棒」とは,いったい何だろう。

 おそらく,この翻訳書の翻訳の過程には,様々な事情があったのだろう。しかし,このような日本語から離れた文章から元の意味を推察することに頭を使うことはできないので,ここで読むのをやめた。

 書評者たちは,我慢強い人たちである。

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2007年3月 5日 (月)

『でっちあげ 福岡「殺人教師」事件の真相』は,読み始めたらとまらない。

Decchiage_1  『でっちあげ 福岡「殺人教師」事件の真相』(福田ますみ,新潮社,2007. 253p.)を読み始めたら,最後まですぐに読み通してしまった。誰でもそうなるだろうが,途中ではいやな気持になり,読後には,あまりの理不尽さにかなり強い怒りを覚えた。

 こんなことは起こり得ないはずなのにと思う反面,現在のような集団ヒステリの連続する状況では,十分に起こり得て,再発する可能性も高いとも思える。  福岡の小学校の教師が,生徒の家に家庭訪問に行った。そこで,長時間引き留められてしまったのでいろいろ話をした。その後,生徒の親が学校に来て,校長に自分の子が担任から体罰を受け,さらに血が汚れていると言われたと訴えた。校長は,親の言い分を信じ,担任に謝罪させる。これを新聞や週刊誌が報道し,「史上最悪の殺人教師」と騒ぎ立てた。さらに,両親は学校を訴えて裁判になった。子供は,専門医によってPTSDと診断され,福岡市の多数の弁護士が原告側に立った。

 ところが,裁判になって明らかになっていくのは,原告の親と子のあまりの異常さだった。

 この本『でっちあげ』の著者は次のように書いている。

 3年前,"史上最悪の殺人教師"を求めて,私は取材を始めた。しかし,追いかければ追いかけるほど,この凶悪な教師の像は逃げ水のように消え失せてしまい,代わりに現れたのは,マスコミや世間の白眼視に身を縮ませる善良な一人の教師の姿であった。
 子供は善,教師は悪という単純な二元論的思考に凝り固まった人権派弁護士,保護者の無理難題を拒否できない学校現場や教育委員会,軽い体罰でもすぐに騒いで教師を悪者にするマスコミ,弁護士の話を鵜呑みにして,かわいそうな被害者を救うヒロイズムに酔った精神科医。そして,クレーマーと化した保護者。
 結局,彼らが寄ってたかって川上を,"史上最悪の殺人教師"にデッチ上げたというのが真相であろう。
 言い換えれば,バイアスのかかった一方的な情報が人々を思考停止に陥らせ,集団ヒステリーを煽った挙げ句,無辜の人間を血祭りに上げたのである。寝覚めの悪いホラーさながらである。

 著者福田ますみは,この本の中で,当事者以外は実名を出している。子供の親の話を鵜呑みにして,一方的な記事を書いた,『朝日新聞』,『西日本新聞』,『週刊文春』の記者たちの名,PTSDと診断した医師の名,弁護士たちの名も載っている。この人たちは,こんどは自分が汚名返上のために努力しなければならないはずであるが,そうした認識さえも持っていないらしい。

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2007年3月 4日 (日)

アカデミー賞授賞式の司会者はさすが

 アカデミー賞授賞式は,世界中の10億人が観ているというふれこみであるが,日本でも観る人が増えてきた。当日の中継も再放送も観た。

Ellen_degeneres_3  今回の司会のエレン・デジェネレスは,スタンダップ・コメディアン出身の女優であるが,もちろんよく知らなかった。前であれば,詳しい人にきくか,専門的な事典を調べなければどのような人物かわからなかったが,今では,ウェブであっと言う間に調べることができる。「ウィキペディア」日本版にも項目がある。38歳である。早口で,意味のないことをしゃべりつづけているようであるが,嫌みがなく,素直に笑わせていて好感が持てる。「同性愛者や黒人がハリウッドを支えているのです」と言って,とてもうけていたのは,彼女自身がレスビアンであるからだった。ブラッド・ピッドとジェニファー・アニストンの住んでいた家を買ったそうだからかなりの大物である。

 会場にいる,候補者たちを,みな旧知の仲間のように扱って緊張を解く手際は,たいしたものである。今回,高齢者の多い候補者たちの中で,若いこともあって,菊地凛子は何回も名を呼ばれ,カメラにも映っていたのは幸運だった。。

 また,そのエレン・デジェネレスが様子を見にいって「みんな裸でした」と報告した影絵のパフォーマンスは,7,8人がポーズをとって,影絵でオスカーや大きな靴の形を作り出すというユニークな芸であり,楽しめた。

 朝日新聞の記者も「フランシス・フォード・コッポラ,ジョージ・ルーカス,スティーブン・スピルバーグ―大物監督3人が監督賞のプレゼンターとして登壇した瞬間,スコセッシの受賞を予感した人は多いだろう」と書いていたが,やはりそう思った。

79th_scorsese_3  スコセッシ監督とともに『ディパーテッド』が作品賞を受けた。スコセッシ監督は,レイジング・ブル』,『最後の誘惑』,『グッドフェローズ』,『ギャング・オブ・ニューヨーク』,『ギャング・オブ・ニューヨーク』の5作で監督賞候補となりながら授賞できなかった。

 『インファナル・アフェア』を観た人たちには共通する気持ちだろうが,この『ディパーテッド』を観たいとは思わない。イメージが壊れるような気がする。それまで,香港映画をあまり観たことがなかったので,『インファナル・アフェア』を観た時,導入部分では,説明が乏しいことや,俳優の区別がつかないこともあり,混乱した。しかし,中盤を過ぎると妙に引き入れられていった。この話は,何でもありの香港,猥雑で叙情的な香港でしか成り立たない話のように思われる。何でもオリジナルがよいとは思わないし,再映画化も積極的に観たいとは思うが,これには食指は動かない。

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