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2007年1月30日 (火)

マイクロソフト:利用者には,新しいパソコンを買う機会だと考えてほしい。

 NHKは,2006年1月21日の「NHKスペシャル」のグーグル社に続いて,続けて,24日の「クローズアップ現代」でマイクロソフト社を取り上げた。

Windowsvista_1  本日(2006年1月30日)から,日本で発売される「ウィンドウズ・ビスタ」について,「消費者不在の販売戦略」と批判した。番組の中では,「ウィンドウズ・ビスタ」発売に伴い,前の版「ウィンドウズ・XP」のサポートがあと2年で終わってしまうことを問題として取り上げ,マイクロソフト社の幹部にインタビューをした。

マイクロソフト社のジェイ・ジェイミソン本部長は,

■ウィンドウズ・XPは日本でも広く使われているため2年後にサポートを終えることに対し,利用者から疑問の声が多く寄せられた。そこで我々は2年後以降もサポートを続けると決断した。

と消費者の要望を取り入れて,この放送日翌日の1月25日に「Windows(R) XP Home Editionのサポート提供期間を2014年4月まで延長」と発表した。

 まるで,マイクロソフト社は,NHKの指摘を受けて,方針を変更したようにみえてしまう。

 先日のグーグル番組と重ね合わせると,どうやらNHKは,インターネットやパソコンの世界で,消費者の立場で積極的に発言し,IT関連大企業への批判を行いはじめたようにみえる。新聞やテレビは,今でも「ブログ」に「(日記風簡易HP)」などという説明書きをつける感覚,つまり,パソコン初心者を装った立場からの報道をしていた。NHKは,これを超えて,今や働く人の大部分が属する日常的パソコン,インターネット利用者を優先することにしたらしい。スポンサーの問題がないのでNHKは強い。結構なことである。

 しかしながら,このNHKの「クローズアップ現代」で,マイクロソフト社のジェイ・ジェイミソン本部長は次のような発言もしている。

■高性能のビスタを使うためにはパソコンにも高性能を求めざるをえない。

■利用者には,新しいパソコンを買う機会だと考えてほしい。

 ソフトウェア会社が,消費者にパソコン買い換え時期を指示する時代が来たわけである。

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2007年1月29日 (月)

六本木「国立新美術館」は「ナショナルギャラリー」を名乗って大丈夫なのか

 六本木ヒルズができる前,何十年も中断したままだった,六本木,乃木坂,青山墓地周辺の道路工事が再開され,青山斎場前から麻布十番方面に行くトンネルが出来上がった。一部に歩道ができたが,これが出来上がってしばらくたった頃,それまで東京大学生産技術研究所のあった場所で工事が始まった。

 一体何が出来るのかと気になったが,その頃は,「ナショナル・ギャラリー(仮称)」という看板がかかっていた。その後,名称の公募が行われとのことであるが,岩手県の主婦の案「国立新美術館」(The National Art Center, Tokyo)となった。この「新美術館」という活動の特色の説明ばかりか永続性を欠いた名称が選ばれること自体,投げやりな感じを与えている。

Nationalgallery_1

 そして1月20日にこの「国立新美術館」開館記念式典と祝賀会があった。黒川紀章氏が設計した建物は奇妙な前面を持ち,総工費は約350億円とのことである。

林田英樹国立新美術館長は,

 国立新美術館は,特定の美術品は所蔵せず,国内最大級の展示場(14,000平米)を生かして,全国的な活動を行っている美術団体などへの展覧会会場の提供,新しい美術の動向に焦点をあてた自主企画展や新聞社などとの共催による展覧会など多彩な事業の実施により,新たな視点を提起する美術館を目指しております。

と述べている。

 朝日新聞は,建築中から「民間の美術館が運営難で次々を[に]姿を消す時代,新美術館の活動は,様々な点で注目を集めるだろう」(2005年7月1日夕刊7面)と言ってきたが,新聞社は館長にわざわざ言及してもらってありがたいだろう,2007年2月7日からは「異邦人(エトランジェ)たちのパリ 1900-2005 ポンピドー・センター所蔵作品展」は朝日新聞の主催である。

 しかし,この施設には以前から批判が多い。

国立新美術館が建つと誰が喜ぶのか?(小川敦生氏,日経BP社)
業界に影響必至 国立の新美術館(雪山行二氏,横浜美術館館長)

 そして,猪瀬直樹氏は,『週刊文春』(2006年2月1日号)で「腹が立って仕方がない。こんなものをつくるカネが,借金大国ニッポンのどこにあるんだ」と怒る。

 建築中から,「何を考えてこんなものを作っているんだろう」と思っていたが,出来上がればさらに疑問が募る。日本で最大級の展示場を持つこの「国立新美術館」(ナショナルギャラリー)は,収蔵品を買うことも集めることも研究することもしない,日本の新しい文化行政の方向を示すこともない,単なる国立のレンタルスペースである。

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2007年1月23日 (火)

便利になるにはあなた方はグーグルに情報を与える必要がある

 2007年 1月21日(日)の午後9時から~午後9時50分までNHK総合でNHKスペシャル「“グーグル革命”の衝撃~あなたの人生を“検索”が変える~」が放送された。

 その内容は,

世界に例のない急成長を続けるIT企業・グーグル。グーグルが検索される回数は一日10億回ともいわれ、いまや世界中が情報をグーグルの検索に頼り、かつ頼らざるを得なくなりつつある。今、「検索」が世界をどう変え、われわれの暮らしをどう変えようとしているのか。番組では、これまでほとんど明かされてこなかった本社内部にもカメラが入り、グーグルが世界中に巻き起こしている「革命」の現場を追った。

というものだった。

 この中でグーグルCEOのエリック・シュミット氏は,

  • 「便利になるにはあなた方はグーグルに情報を与える必要があるのです」
  • 「グーグルがあなたの情報を保有することであなた方はいつでもどこでも情報にアクセスできるようになるのです」
  • 「個人的な情報でも信頼できるところに預けてあれば安全なのですから心配ないことはわかると思います」

と確かに語っている。

 こうもあからさまに,「ビッグブラザー」(オーウェル『1984』)的発言をすれば,利用者の反発は必死なのに,一体どうしたことなのだろう。

 今後,引用され続けることになる。

 シュミット氏が無防備だったか,NHKが巧妙だったのか。

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2007年1月21日 (日)

『4400』はSF

4400  『4400 未知からの生還者』は,米国のテレビドラマで,2004年に放映された第一シーズン6話分のDVDが2006年中に発売されている。「フォーティー・フォー・ハンドレッド」と呼ばれている。  「『X-File』,『24』を凌ぐ“超”感覚サスペンス」であるらしい。  2004年,彗星が地球に衝突するコースを進んできた。各国が核ミサイルを発射したが,コースを変えることはできなかった。しかし,彗星は地球に近づくと速度を落とし,シアトル近くの湖に着陸するようだった。米国国土安全保障省シアトル支局に勤める科学者ダイアナ(ダイアナ・スクーリス)は,現地に赴いた。彗星は,眩しく輝く巨大な光の球であり,やがて爆発し,おさまると何千人もの様々な人種,年齢の人々が立っていた。彼らは「生還者」と呼ばれ,4400名であり,調査すると1930年代から最近までの間に失踪しており,失踪後から今までの間に歳はとらず,記憶は一切なかった。

 米国国土安全保障省シアトル支局を休職しているトム(トム・ボールドウィン)の息子の病院で植物人間状態カイルと甥のショーンは3年前にドライブに出かけたが,ショーンは失踪し,カイルはの病院で植物人間になっていた。カイルは,ショーンが現れると反応を示すようになった。トムは仕事に戻り,ダイアナとともに調査を担当する。生還者たちは,収容施設から解放された。戻っても自分のいる場所のないものもいる。やがて,生還者たちは,それぞれ超自然的な能力を持っていることが明らかになる。940年代に失踪した少女マイアは未来予知能力を持っており,ダイアナが預かることになる。

 第一シーズンは,4400人がどこから戻ってきたかが少しだけ明らかにされて終わる。次第に謎が明らかになったり,群像劇であるという点では,『LOST』に似ているし,国土安全保障省シアトル支局は,『24』のCTUのようである。2006年の第三シーズンまでは続いたらしい。真相を明らかにすればいつでも終わりにでき,続けるのなら,4400人もいる生還者のエピソードを増やせばよいという仕組みになっている。

 この『4400 未知からの生還者』は,純然たるSFである。SF的な設定でも,その設定は気にしないで人間ドラマに重点を置くドラマもあるが,これはそうではなく,時間や超能力をテーマとしたSFなので,SFが好き嫌いかで評価は分かれるだろう。このままでは日本では無理そうだ。

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2007年1月17日 (水)

西国三十三札所大阪府篇

 大阪にある第二十二番札所総持寺,第二十三番札所勝尾寺,第二十四番札所中山寺を一日で行くことを考えて,乗換案内をで調べていたら,考えていなかった交通手段があることがわかった。門真市と伊丹の空港を結ぶ大阪モノレールである。

 西国三三所の寺の大方は,山の上にある。町中にあって駅からも近いという寺も六,七か所ある。総持寺と中山寺は,このタイプであるので,比較的簡単であるが,勝尾寺は,箕面の山中である。前回は,箕面から行ったが,今回は千里中央駅からバスで行こうと考えた。ただ,バスは,1時間に1本しかなく,それを前提に予定を立てなければならない。

  最初の総持寺は,阪急京都駅の総持寺駅から歩いて直ぐである。この総持寺駅から千里中央駅まで,電車だけで行くとすると遠回りになって,1時間近くかかるが,総持寺駅から二つ先の南茨木からモノレールに乗ると,20分で到着する。

Katsuo_1  この日は,千里中央駅から勝尾寺までのバスの本数の多い2006年10月の土曜日である。途中の団地までは乗客も多い。急に山中となり,ここも大阪府かと思う。勝尾寺は水子供養の寺であるが,次の中山寺は安産祈願の寺である。勝尾寺から千里中央駅まで戻って,またモノレールに乗り,蛍池で降り,阪急宝塚本線で中山に行くと,直ぐに中山寺に着く。この大阪モノレールは,住宅のある市街地のかなり高い位置を走るという点で,東京の羽田モノレールや多摩モノレールとは違っている。

Nakayama  大阪モノレールとこの三つの寺の位置とは必ずしも一致しないが,昔存在していたルートがモノレールで復活したとも言えなくもない。土曜日のせいか,あるいは土曜日でもか,かなりの数の乗客である。このモノレールは世界最長で,経営はうまくいっているらしい。

 中山寺からは阪急の中山駅が近いが,もうひとつJR中山寺駅があり,そちらに向かった。この中山寺駅から尼崎方面行きに乗る。木津駅行きや同志社前行きの電車がある。伊丹,塚口を過ぎ,名神高速道路をくぐった先が,2005年4月のJR宝塚線脱線事故の現場である。

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2007年1月12日 (金)

博物館でも,図書館でも,マンガ喫茶でもない京都国際マンガミュージアム

 2006年11月末,京都の烏丸御池に「京都国際マンガミュジアム」が開館した。ここは,龍池小学校があった場所で,その古い校舎を使い,フローリングなどを施し,リニューアルした。

 「京都国際マンガミュージアムについて」というぺージには,「京都国際マンガミュージアムは、京都市と京都精華大学の共同運営で、いまや世界から注目されているマンガの収集・保管・展示およびマンガ文化に関する調査研究及び事業を行うことを目的としています。このミュージアムは、博物館的機能と図書館的機能を併せ持った、新しい文化施設です」と書かれている。  烏丸通りから入ると,すぐに喫茶店があり,続いて入口がある。係が二人座っているカウンターがあるので,そこに行こうとすると,別の係が,脇にある自動販売機で入場券を購入するように促す。大学生以上の入場料は500円である。カウンター付近には,ミュージアムグッズ売場がある。

 壁に書棚があり,そこにマンガが並んでいる。著者名順に並んでいて,取り出して近くにある閲覧机で読むことができる。5万冊あるとのことだが,目録はない。ウェブページには,「所蔵資料検索」があるが,その所蔵場所は閉架書庫で,これらの閲覧は,2007年1月現在ではできない。

 開館イベントとして,「世界のマンガ展」を開催しているが,各国のマンガを,並べて,展示しているだけで,解説はほとんどない。日本のマンガの歴史の展示もあるが,マンガ雑誌の創刊号を見せるのが中心で,400字ほどの解説がいくつかあるにすぎない。そのかわり,短編アニメーションを流すモニターがそこここにある。

 他には,ゼミナー室,児童室,研究室があるが,校長室,龍池歴史記念室,地域集会室,多目的研究室(和室)などがある。

 今のところ,博物館,図書館,マンガ喫茶,小学校遺産,地域用施設を混ぜ合わせた,博物館でも,図書館でも,マンガ喫茶でもない施設である。

 「開設の背景」には,「本ミュージアムの開設のコンセプトは、公民協働(PPP=Public-Private Partnership)の考えに基づいています。計画を市と大学で策定し、市が土地・建物を提供、市と大学で組織される運営委員会の下、大学がミュージアムを管理・運営し、研究成果やノウハウを提供するものです。マンガ・アニメーションを体系的に研究し、生涯学習、観光誘致、人材育成や新産業創出等への活用を図るため、資料の収集・展示・保存を市と大学の共同により行い、その成果を地域社会の文化活動に対しても還元・貢献できる形態は、他地域の先進事例になるものと注目されています」とある。

 正式な開館は2008年とのことである。何らかの事情で,準備の整わぬうちに開館したのだろう,今年中に「PPP」を活用し,博物館でも図書館でもない「新しい文化施設」ができるに違いない。

 しかし,今やマンガは,重要なメディアであり,網羅的な収集,保存,書誌コントロール,展示,研究とその成果の発表が求められている。「京都国際マンガミュジアム」のような「先進事例」,実験的な試みの対象としてマンガが取り上げられるのは仕方がないのかも知れないが,マンガ自体の発展のためには,ここに期待するのは無理であり,別なまともなマンガ専門図書館,博物館を作る必要があると思われる。

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2007年1月11日 (木)

第十六番札所清水寺は「新七不思議」となるのか

 世界的な旅行ブームの中で,ユネスコ「世界遺産」を考え出したのは誰であるか知らないが大した知恵である。退職した団塊世代のかなりの人々は,世界遺産巡りを目指すだろう。

 二番煎じの感じもするが,「新七不思議財団」という団体が,世界の歴史的建造物の中から新しい「世界の七不思議」を,インターネット投票で選ぶということを始めた。世界遺産は830件もあるので,7件に絞る意味があるのかもしれない。2000年から予備投票を行って,77の候補から万里の長城やアンコールワットなど21の最終候補が選ばれた。ここから「新七不思議」が選ばれるのであるが,この21の候補に,日本から選ばれたのが「清水寺」である。

Kiyomizu  清水寺の舞台は壮観であるが,木造建造物,不思議,古いということであれば,法隆寺や東大寺をはじめ,最近人気の三徳山三仏寺の投入堂,さらに吉野の蔵王堂などすぐに思いつく建築物がある。候補になったというニュースをテレビでみて,建物ができたのが17世紀ではね,清水さんは売り込みがうまいと正直思った。

 清水寺は,西国三十三所第十六番札所である。二年坂や三年坂までは行くが,清水寺には,近年行ったことがなかった。久しぶりに行ったら,紅葉の頃でもあり,境内とその周辺は,観光客,ツアー客,修学旅行の団体でごったがえしていて,身動きがとれなかった。

 今から十数年前の調査では,京都を訪れる四千万の観光客の三分の一が清水寺を訪れていた(読売新聞京都総局『京都影の権力者たち』,1994)。これは今でも変わらないだろう。清水寺,金閣寺,銀閣寺が観光客数ベスト3であるが,清水寺は突出している。京都駅前で,東山通りの清水寺方面に行くバスの乗り場は朝から晩まで列ができている。

 要するに初めて京都を訪れる人々は,必ず清水寺に行くのである。香港でヴィクトリア・ピークに行き,パリでルーブル美術館に行くようなものである。

 京都には,西本願寺,東本願寺をはじめ大徳寺,知恩院など,大きな宗派の本山である寺院が多い。しかし,清水寺は,末寺がほとんどない寺である。京都市内には西国三十三所札所は,5カ所あり,江戸時代の案内記で清水寺に割かれている分量は少ない。昔は,参詣客は日に数人だったともいわれる。それにもかかわらず,長い間京都への観光客に対してアピールする努力を重ね,やがて,富める者はますます富むマタイ効果も働いて,現在のように押しも押されもせぬ京都随一の名所となったのである。

 清水寺の周囲には,狭い場所を工夫して,それなりの広さの観光バス駐車場と活気のある土産物店が立ち並んでいる。清水寺は,寄生しているかのような高台寺を含め,こうした膨大な観光産業を養い,支え,京都市に貢献している。

 そう考えると,清水寺が「新七不思議」の候補となっても何の不思議もない。

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2007年1月 8日 (月)

発着フリーク

 子供の頃から乗物が好きだった。そのためなのだろう,乗物の発着を見て飽きることがない。駅のベンチでもよいが,ホームを眺めることのできる場所から,列車の発着を見る,空港の大きなガラス窓ごしに離着陸する飛行機を眺めるといったことが好きということである。ただし,バスの発着や,道路での車の往来には何も感じない。

 尾道の山の上の千光寺公園から見る尾道水道を行き来するフェリーをはじめて見た時には時間を忘れた。尾道は,坂の町として有名であるが,狭い海峡の対岸に向島があるという特殊地形でもある。この向島との間を五か所ほど渡船が結んでおり,小さなフェリーが頻繁に往来している。(浄土寺山頂展望台からのパノラマ)

 こちら側から出たフェリーが向島に着き,隣の乗り場からは,別のフェリーが出発する。この有様を高いところから見るのが気に入ってしまい,何度も尾道に行き,わざわざ山の上のホテルに泊まったことまである。この尾道の渡船の光景は,他ではみられないユニークなものと思うが,尾道には,他にたくさん観光名所があるので,それほど注目されていない。

 正しい「発着フリーク」は,見ている間はぼぉっとしていて何も考えない。待っている間も気を抜くことはできない。しかし,1時間に1本しか発着のない駅,空港,港では,満足できない。頻度も大事というように,なかなか贅沢にはなってくる。

 たまたま,「おぱく堂」氏の「電車走行キット」というページを見付けた。この中にある「昔の「赤坂見附」風な駅」は,うれしかった。東京の地下鉄の赤坂見附駅に銀座線の電車と丸の内線の電車が発着する。「昔の」というのは,走っている車両によるばかりでなく,銀座線の電車がホームに入る前の一瞬の消灯を再現しているからでもある。  右方向は,銀座線では「溜池山王」ではなく「虎ノ門」,丸の内線では,「国会議事堂前」である。このホームの左側部分では以前から工事をしていた。昨年末に出来上がったのは,下のホームとの連絡階段だった。

 シンプルではあるが,味わい深い。

 丸の内線の電車と銀座線の電車が同時に発着しないだろうかと思い,ずっと見続けていた。そうしたら,おお・・・。

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2007年1月 6日 (土)

第十二番札所岩間寺も大変

 2006年10月の朝早く,京都地下鉄東西線の醍醐駅で降り,ガラス多用の巨大な駅舎を通り抜け,新趣向の市営住宅が立ち並ぶ現代的空間をしばらく歩くと,醍醐寺の門に到着。五重塔を右に見て回っていくと,上醍醐にいたる登山道に到着する。

 ここが,三十三所の難所の一つである上醍醐寺の入口である。醍醐寺は,京都の大寺であり,桜,紅葉の名所であり,観光客が多い。しかし,上醍醐寺は,山の上にあり,長い坂道を登らなければならないので普通は,行かない。しかし,大学生の頃以来,これまで4回登ったことがあり,毎回,これを最後にしようと思っていた。

Daigo1  地元の人たちにとってはこの坂道はどうということはないようで,毎朝,頂上まで往復しているらしいおじいさん,おばあさんがくだってくるのとすれ違う。最初から厳しい登り道があるが,途中でなだらかな道があってほっとする間もなく,後半はさらに傾斜の強い山道という構成になっている。道端に三丁,五丁と刻まれた道しるべがあるが,一丁ごとにあるわけではなく,しかも十丁で頂上というわけではない。

 醍醐駅から上醍醐の観音堂まで1時間半かかった。上醍醐寺で若いお坊さんに岩間寺方面に行く道をきく。ともかく真っ直ぐ下ること,横道にそれてはいけない,岩間寺まで2時間半かかるとのこと。弁当は持っているかとも聞かれた。

 西国三十三所順番に参拝するという規則を守るには,第十一番札所上醍醐寺の次の第十二番札所岩間寺の間が問題である。岩間寺も山の上にある。江戸時代の道中案内『西国順礼・道中細見』では,上醍醐寺から岩間寺までのコースがよくわからないが,最短距離を歩いていったはずである。現在では,この岩間寺までは,琵琶湖方面からの道が便利になっている。車やマイクロバス巡礼の場合でも地下鉄と京阪電車を乗り継ぐ場合でも,遠回りしていくほうが,楽で早い。

 前回の十数年前,事情がよくわからないまま,上醍醐から岩間寺まで歩いていった。岩間寺に着いたのが参拝終了に近い時間となった。寺の人から,この頃は上醍醐から歩いて来る人はめったにいないと誉められた覚えがある。

Daigo2  上醍醐からの道を下り始めた。前の時は道が笹に隠れていたように思うが,今回は,道は広く感じられた。しかし,通る人が少ないこともわかった。道ばたの苔などきれいに残っている。壊れかけた橋がある。ここで倒れたらしばらくは見付からないかもしれない。

 約20分で麓の黒出という集落についた。ここからは広い自動車道があり,遠足らしき元気な小学生たちとすれ違って,15分ほど歩くとわかれ道がある。東笠取山の方向に行く。やはり自動車道の登り坂であるが,行き来する車が一台もない。また三叉路があり,道なりに進むと岩間寺への登り口の標識があった。東海自然歩道で0.9キロと書かれている。

 ところがこの道は,全く整備されていない。急坂であるし,滑るし,ゆっくり登っても足元がおぼつかない。文字通り疲労困憊してようやく頂上にたどり着く。前回もこの道を通って難儀したはずであるが,その記憶が欠落していた。ただ,この上醍醐寺,岩間寺間で何か問題があったというぼんやりした感じだけがしていた。

Iwama  岩間寺も閑散としていた。この岩間寺からふもとまで広い自動車道があるが,普段はバスは走っていない。ここを3キロ近く歩く。ようやくバス停に到着。バスで石山寺門前に行き,第十三番札所石山寺に参り,歩いて京阪石山寺駅に行き,京阪石山坂本線で三井寺へ。第十四番札所三井寺を終えて戻るときに少し雨が降り出した。

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2007年1月 5日 (金)

レンタルビデオ店はどうなる

 レンタルビデオ店を利用するようになったのは,6年半前からである。最初に利用登録した店もその次に登録した店も今はない。すでに利用している者にとってはどうということはないが,一度も利用したことのないものにとっては,レンタルビデオ店における手順には不安がある。大学生に世の中の仕組みを教えるサイトRUKIWIKI 大学生にもなって今さら聞けないコト。の「FAQ:shoppinng」で,

【Q】レンタルビデオの利用方法 店の利用システム教えて
【A】店に入る。棚に並んでるビデオのケースの中身だけをカウンターに持っていく。たまに,ケースだけあって中身はカウンターで受け渡しってのもあるけど基本的に中身が入ってないのは貸し出し中。初めての利用なら会員証なり作るために名前とか住所とかの書類を書く。本人確認のために身分証明(学生証で充分)が必要なことが多い。何日借りるか決めて手続きしてもらう。借りたビデオ受け取って帰って鑑賞。期日になったら店に持って行ってカウンターで返却手続き。

と教えてくれる。

Tsutaya

 住んでいる場所では,圧倒的にTSUTAYAが優勢なので,TSUTAYAに登録している。2,3年前までは,TSUTAYAでも各店で登録しなければならなかったが,今は,一枚のカードでどの店でも借りられるようになった。しかし,店ごとに料金は異なる。wikipedia(「レンタルビデオ」,2007-01-05)には,「近年では新作を除けば七泊八日で350円程度のことが多い」と書かれている。

 しかし,「全国的にそうなのかは知りませんが,ウチの最寄のTSUTAYAは,水曜日は準新作と旧作の7泊8日レンタル料金が190円なのです」うさうさ通信),「新作は1泊2日,準新作・旧作は7泊8日で100円になる日が, 月に3回以上必ずあるお店なんて」(雑記)などという,うらやましい店もある。

 長い間,旧作と新作の区分しかなかったが,今は,準新作というカテゴリがあり,かつては旧作となったものを準新作に分類するという小狡い手法で実質的な値上げをはかっている。特定の作品の旧作,準新作,新作への分類も店によって異なっている。

 時々,TSUTAYAは,「半額レンタル」を実施している。実施にあたって,ほとんど予告がない。行ってみたら半額レンタルだったということになる。確かに,事前に告知したら,半額になるまで借りない客が大勢出てくるだろう。

 レンタルビデオと言われているが,実質はレンタルDVDとなっている。映画などの販売用DVDは,ビデオと違い,価格低下が著しい。少し待てば500円程度で買うことができることも多い。そのため,レンタルビデオ店の経営は難しいらしい。

 レンタルビデオの料金はやや高いものの,レンタル制は便利である。販売用のDVDを買うとみるのは後回しになりがちである。ビデオよりはコンパクトといっても,数が増えればやはり収蔵がやっかいである。最大の問題は,ビデオ同様,現在のDVDの媒体は,一過性であるに過ぎないことが明らかになっていることである。ビデオよりも早くプレイヤーが消えて,再生不能となるだろう。

 従って,レンタルビデオを借りていたほうが合理的なのだが,みなそう考えるわけでもない。

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2007年1月 4日 (木)

西国三十三所第四番札所槙尾山施福寺の大変

 2006年6月,和歌山に泊まり,一日で,第三番粉河寺から第五番葛井寺まで参詣する計画である。実のところ,第四番札所槙尾山施福寺が困りものである。どれほど時間がかかるのかわからない。

 粉河寺の拝観時間は,8時からであり,余裕の時間を少しでも増やそうと思い,和歌山から7時半過ぎの和歌山線に乗車。通学の高校生でいっぱいである。だらしないのがほとんどであるが,「大学受験」と書かれた問題集を一人で解いている高校生も何人か見かけた。

Kogawa  粉河駅には,粉河寺の案内はない。駅前から始まる商店街が多分参道の名残だろうが,今は,普通の商店街である。この寺は,小山の裾にきちんとお堂が立ち並ぶ立派なたたづまいである。枯山水の庭があって,躑躅がまだ咲き残っていた。

 和歌山に戻り,阪和線の快速で和泉府中に向かう。和泉府中駅付近は再開発途上であるらしくほこりっぽい。駅から少し離れたバス停で槙尾山口行き南海バスに乗る。バスは,泉北ニュータウンをつっきって,東の山岳地帯に向かう。乗ったときは意外にもかなりの乗客だったが,全員降りてしまい,終点の槙尾山口で降りたのは一人だった。

 実は,昨年秋まで施福寺門前までバスが走っていたのだが,今は廃止されてしまっている。この先のことはあまり考えてこなかった。何の救いもやってはこなさそうなので,槙尾山口から門前までの約四キロを歩くことにする。最初は住宅地であるが,まもなくとぎれ,左側は山,右側は槙尾川をはさんで山となる。つまり,谷間である。晴れていて,蒸し暑い。日陰を歩いた後,遮蔽物のない長い道が延びるのをみると萎えてくる。人は全く通らない。

 ヒッチハイクをしてみようかという誘惑にかられるが,慣れないことはしないほうがよいという自制が働く。途中で,オレンジバスというマイクロバスに追い抜かれた。後で知ったことであるが,施福寺や和泉市が南海バスが運行を止めた槙尾山口から槙尾山までを補う地域バスを走らせていて,これがオレンジバスだった。ところが,南海バスとは連絡せず,しかも,槙尾中学校前が発着所であるので,知らないものにとっては,どうにもならなかった。調査不足でもあったのだが。途中に,案内板もないので不安をかかえつつ,汗びっしょりになり歩き続けて,ようやく門前に到達した。

 この施福寺は,門前に到達するのが難しいだけでなく,のぼりがきつく,上醍醐とともに,三十三所中の難所と言われている。登り始めの最初は,舗装された急坂で,徐々に,横木の階段,そして石段となる。約800メートルであるが,息が上がって辛い。昔は今よりも道が険しかったらしいが,その頃の人たちは鍛錬されていただろう。倒れそうになりながら30分ほどかかって頂上に到達した。さすがに冷たい風が谷間から吹き上げてきてうれしい。

 降りるのは快調で,10分ほどだった。門前の店に「氷」とあるのにひかれて入る。この山道では負傷者が絶えず,始終,救急車が来るとのことである。負傷者は若者が多いそうである。下りで転ぶのだろう。

 さすがに,また四キロを歩く気はしないので,やましさを感じつつ,タクシーとする。電車を乗り継ぎ,近鉄の藤井寺駅に参拝終了の5時前に到着。第五番葛井寺は,駅からあっという間である。ここが一番簡単である。

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2007年1月 1日 (月)

西国三十三所第一番札所 青岸渡寺

 2006年6月のサッカーワールドカップの最中,東京駅6:20の「のぞみ」で名古屋に向かい,名古屋で,8:14発「(ワイドビュー)南紀1号」に乗り換えた。後ろに,説明好きというか知ったかぶりのおじさんがいて,「このトンネルを抜けると,海が遠くに見えるから」,「ここまでが三重県で,これから和歌山県,三重県って広いね」などと大声で連れにしゃべっている。

 紀勢線は眺めがよい。高所からの俯瞰もあれば,波打ち際を長く走る場面もある。海岸は荒らされておらず,自然のままという印象である。尾鷲,熊野のあたりは,前回は1991年であるから15年前だが,その時は,やや寂れた印象が強かったが,今回は,日本のどこにでもある光景だった。

 12時前に紀伊勝浦に到着。駅前からバスで那智に向かう。終点の神社お寺前駐車場で降り,参道へ。百数十段の階段を一挙に登り,観音堂で,納経帳を購入し,最初の記帳。脱兎のごとく階段を駆け下りてバス停に行く。ここで,帰りのバスに間に合うかどうかが大きな問題だった。
 
 今日のうちに第二番札所紀三井寺に行きたいが,そのためには,13:17発の列車に乗りたい。そのためには,参詣を二十分で済まさなければならない。また,ここから逆算すると,東京駅6時過ぎの新幹線に乗る必要があった。

Seigan2  驚いたのは,参道にもお堂にもほとんど旅行者がいないことだ。写真のように人影がない。もちろん,那智滝や熊野三山の観光客はいるのであるが,西国三十三所巡りが少ないということである。これは,後にも何度となく感じたことである。

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