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2006年12月31日 (日)

2006年の映画

 今年(2006年),観た映画は,DVDを含めて100本ほどである。これまで,毎週の封切り映画の中に,二,三本は観たい映画があったが,今は,観たい映画がない週が何週間も続くことがある。もっともインターネットの評価サイトのおかげで,駄作や自分に合わない作品を避けることができるようになったことも大きい。これもweb2.0なのかもしれない。日本映画興行の興隆が目立つ2006年だが,アメリカ映画の低調ぶりもまた顕著である。

 映画館で観た新作映画では,次のような作品がよかった。

■『スパングリッシュ 太陽の国から来たママのこと』(ジェームズ・L・ブルックス監督)

 DVDさえ出るのかどうかと心配していたが,劇場公開となって,ありがたかった。もちろんアダム・サンドラーよりもティア・レオーニが観たかったのである。メキシコ系の住民が五割を超えるというロサンジェルスの日常生活で起きる言語や文化の問題を扱った佳作。

■『プライドと偏見』(ジョー・ライト監督)

Prideand  ジェーン・オースティンの『高慢と偏見』は,200年前のイングランドのドメスティックな出来事を描きながらも,時代と地域を超えた普遍性のある恋愛ドラマである。その主人公,エリザベスにキーラ・ナイトレイが挑戦。映画として1940年の『高慢と偏見』とテレビドラマシリーズとして1995年の『高慢と偏見』(コリン・ファース)がDVDとなっている。
 
 主人公の賢いエリザベス19歳の目で見た世界であり,牧師のコリンズ氏,母親,妹たちの俗物性,浅はかさを容赦なく批判する。一方では,愛する姉の欠点は,ダーシーに指摘されるまで気が付かないことになる。テレビドラマの『高慢と偏見』は評判がよいが,コリン・ファースが主役のようになっている部分が多い。例えば,原作では,手紙の中で書かれるだけのロンドンでの探索行を映像化している。こうした勘違いがあるし,長いし,これは今ひとつであろう。

 クライマックスは,どう考えてもデ・バーグ夫人との対決とその後のダーシーからの二度目のプロポーズの場面である。傲慢,身勝手,礼儀知らずで一方的な老夫人に対し,エリザベスが一歩も引かずにやりこめる場面がなければ,『高慢と偏見』ではない。しかし,何を考えたのか1940年の『高慢と偏見』では,これが実にいい加減になっている。

 といったことを勘案するとこの『プライドと偏見』は,バランスがとれよい出来である。映像もよい。

■『終わりで始まりの4日間』(ザック・ブラフ監督)

 同じ頃,大宣伝していた『エリザベス・タウン』と同じ様な話であるが,ナタリー・ポートマンとザック・ブラフのほうが,キルスティン・ダンストとオーランド・ブルームよりずっとよい。

■『Vフォー・ヴェンデッタ』(ジェームズ・マクティーグ監督)

 テロリストを主役にしたこの作品は,コミックが原作とはいえ,もちろん,ヨーロッパで製作された。Vは最後までマスクをしたままであるが,『キングダム・オブ・ヘブン』のイスラエル王エドワード・ノートンもそうだった。

■『ピンクパンサー』(ショーン・レヴィ監督)

 破壊の連鎖で笑うという,最近ではなかなかできないことができる作品。ピーター・セラーズは怪しげだったが,感覚的に馴染めなかった。スティーヴ・マーティンのクルーゾー警部は単に不器用なのかもしれないが,それで十分。

■『プロデューサーズ』(スーザン・ストローマン監督)

 ミュージカルなので,たいした筋書きはないが,劇中のミュージカル『春の日のヒトラー』と老人いじめがよかった。

■『忘れえぬ想い』(イー・トンシン監督)

 単純な話であるが,「頑張る」姿と意地に圧倒される。香港のミニバスの仕組みも面白い。

■『リトル・イタリーの恋』(ジャン・サルディ監督)

 シンプルな三角関係の恋愛映画である。ただ,オーストラリアへのイタリア移民社会という特殊な環境である。コリン・ファレルと結婚していたアメリア・ワーナーが素晴らしい。

■『迷い婚 -全ての迷える女性たちへ-』(ロブ・ライナー監督)

 『迷い婚』は,非の打ち所のない婚約者があいるのに,態度をはっきりさせない,身勝手なジェニファー・アニストンが,こともあろうに過去にしがらみのある五十男に惹かれていくコメディであるが,この映画の構造は,興味深い。それに『フレンズ』や『グッド・ガール』では普段着ばかりであるが,パーティ用のドレスを着ると,オーラのただようジェニファー・アニストンを観るだけでも価値がある。
 
 「噂に基づく」というこの物語は,映画『卒業』の後日談である。1960年代のはじめに,ロサンジェルスのパサデナで,ある事件があり,それが,後に小説となり映画となった。実際に起きたことと小説とは少し違っていて,当時パサデナでは,モデルの家探しが行われたが,わからないままだった。そして,現在,ジェニファー・アニストンは,『卒業』のキャサリン・ロスの娘,そして,祖母シャーリー・マクレーンは,つまりミセス・ロビンソン,そして,ダスティン・ホフマンは,ケヴィン・コスナーとなっている。ジェニファー・アニストンは,自分の本当の父親は,ケヴィン・コスナーではないかと推理し,確かめようとする。

 映画を元にして映画が作られているわけである。辛辣な祖母シャーリー・マクレーン,精神的に不安定な姉妹,いかにもITの世界での成功者風のケヴィン・コスナーに対し,父親リチャード・ジェンキンスや恋人マーク・ラファロは影が薄いが,でも,という結末もよい。

 気になって,40年ぶりに『卒業』もDVDで観た。しかし,この映画は,当時の時代の雰囲気に依存しすぎており,今では,薄汚い感じが残るのは否めない。なぜ面白くないかと言えば,第一に,ダスティン・ホフマンの無気力さは,多分,時代的なものなのだろうが,今では,全く理解できない。幼児に接するようなこの親たちは,揶揄されているのだろうが,これも今となっては,単に愚かなだけである。それに,アン・バンクロフトが,親しい付き合いの友人の息子で,幼い時から知っているダスティン・ホフマンを,執念深く誘惑するのが不快である。後半のダスティン・ホフマンは今ならストーカーとして捕まっているだろう。

■『カサノバ』(ラッセ・ハルストレム監督)

 18世紀中頃のヴェネツイアの再現に力をいれつつ,荒唐無稽な場面も加え,軽妙なコメディを作り上げている。監督の才覚がよくわかるし,スピード感のあるヒース・レッジャーもよい。

■『親密すぎるうちあけ話』(パトリス・ルコント監督)

 「サンドリーヌ・ボネールがとても美しい」というだけかもしれないが,それで十分。

■『スーパーマン リターンズ』(ブライアン・シンガー監督)

 再映画化,シリーズ物,CG多用とハリウッド映画の最近の傾向を代表する映画である。しかし,少なくとも冒頭の30分のパワフルでノスタルジックなスーパーマンの登場部分だけでも観る価値はある。筋立ても工夫が凝らされていて,次への期待も持つことができる。

■『もしも昨日が選べたら』( Click 2006 フランク・コラチ 監督)

 時間に苦しむ現代人が考えそうなアイデアを実現し,そこで起きる騒動を描いたコメディである。アダム・サンドラーとケイト・ベッキンセイルは最初から夫婦で,恋愛という要素は最初から排除している。

■『父親たちの星条旗』(Flags of Our Furthers,クリント・イーストウッド監督)
■『硫黄島からの手紙』(Letters from Iwo Jima,クリント・イーストウッド監督)

 原題も邦題も両作品の字数は同じである。細かなところまで注意の行き届いた映像,編集の手際,音楽とどれもが名人芸である。戦闘場面には臨場感があり,やはり映画館で観たほうがよいと思われる。

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『吾輩は主婦である』が2006年ナンバーワンのドラマ

Wagahai_1  今年(2006年)に観た映画を含む「ドラマ」の中でのナンバーワンは,宮藤官九郎作のお昼のテレビドラマ『吾輩は主婦である』である。これは本当に面白い。

 テレビドラマ『吾輩は主婦である』は,2006年5月22日から7月14日までTBS系列「愛の劇場」(月~金13:00~13:30)で放送されていた。終わり頃の数回しか観ていないが,DVDが発売されるのが待ち遠しく,40回分をあっという間に観た。

 矢名みどり(斉藤由貴)37歳は,東京の郊外(南沢)のマンションに,レコード会社に勤めるたかし(及川光博)と14歳の娘,小学生の息子と平凡に暮らしている。早稲田の近くに住んで古本屋を営むたかしの母(竹下景子)が毎日のように訪れるが仲はよい。たかしは,ふとした弾みで会社を辞めることになってしまった。ローンと生活費を考えて,みどりは,マンションを売ることにし,母の家に一家で移り住む。たかしは郵便局員になったが,マンションは売れない。生活の変化とやりくりで苦労をし,千円札を眺めるみどりに,夏目漱石の魂が乗り移った。

 斉藤由貴に乗り移った夏目漱石は,意識だけが,明治から現代にタイムスリップしてきた。周りの家族は,半信半疑ながらも,姿は「みどり」でも,人格は漱石らしいことを理解して接するが,その他の人々は,中味も「みどり」であることを疑ってはいない。そのために様々な齟齬や危機が生まれる。

 漱石は,及川光博を赤パジャマ,小学校の先生原史奈をマドンナと呼びつつ,小説を書く。それとともに,みどりがそうであったように,主婦として,古本屋の店番として,喫茶店のメイド服ウェイトレスのパートとして,役目を果たそうとする。漱石は,女であることにはショックを受けているが,結構,現代が気に入っていて,特に,プリンなどの食べ物の美味さに執着している。

 話は,37歳の主婦の姿をした明治の文豪がどうなるかというだけでは終わない。教育やテレビ業界の内幕暴露など,現代の問題や風俗を取り上げて,どたばた騒ぎが起きる一方で,文学的な味わいある。

 斉藤由貴は,この役のために生まれてきたのではないかと思わせるほど,似合っている。主婦と漱石との微妙なバランスをとりながら自然に演じているところが素晴らしい。いずれにせよ,どの場面でも,漱石として考え込んでいる姿さえも,可愛いらしい。

吾輩は主婦であるDVD-BOX 上巻「みどり」

吾輩は主婦であるDVD-BOX 下巻「たかし」

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2006年12月18日 (月)

web2.0とは無縁の『ヒューマン2.0』

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渡辺千賀『ヒューマン2.0』(朝日新聞社,2006191)は,シリコンバレーで日米の技術提携のコンサルティング会社を営む渡辺千賀氏のみたシリコンバレー事情である。

日本とは大きく違う仕事ぶりと生活ぶりを豊かな事例と,調査結果をもとに紹介している。技術者であれば高給を得ることができるが,税金は高く,医療保障は十分ではない。さらに,始終レイオフがある。そのような中で,多国籍のシリコンバレー住民は,広い家に住み,アウトドアなどで生活を楽しむ。かれらは,会社にではなく地域に忠誠を尽くす。ただ,シリコンバレーは田舎である。

 著者はブログでよく知られている方だが,語り方が上手いし,ユーモアがあるので,たやすく読めてしまう。  しかし,「人間の本質というのは何かをしながら,実体験を通じて形成されていくもので,想像や論理ではわかりえないもの。『自分は本当はこういう人間だから,こういうことをすべきだ』というのは失敗の元」といったような,かなり鋭い指摘がいくつもみられる

シリコンバレーの紹介として実によくできているが,それよりも,別の価値観,生き方というものがあり,それがどのようなものかを教えてくれる貴重な本である。

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